’03.1〜12
’03.9.22 第二次小泉内閣の組閣人事の発表をテレビでみて、内閣の人事と企業の人事とダブって見え、組閣も随分変わったなとの思いをしました。
小泉首相になっての組閣は、派閥推薦の候補を派閥の規模に比例して入閣させる従来の組閣の方法を破って、適材適所を標榜して大臣を決めたところに新鮮味を感じました。今回の内閣改造は、総裁選での派閥の締め付けが緩んだこともあって、小泉新総裁の組閣方法が一層際立っていたように思います。
若い石原新国土交通相の希望に満ちた談話を聞いたり、父親で小泉候補の対立する亀井総裁候補を応援していた石原都知事の「小泉首相は人事の天才だ」と喜色満面の談話をテレビで見ていると、少しは政治も国民の感情をわかった、人間らしい活動をしてくれるのかなと期待が湧きます。

人事は人にやる気を起こしたり、やる気をなくしたりする不思議な力を持っているように思います。子供の頃を思い起こすと、小学校の担任の先生が誰になるか大いに気になったものです。気に入った、人気のある噂の先生が担任になると、何となく希望をもって新学期に望んだものです。
嫌な先生の異動の発表があるとうれしくなって、また明日から元気に学校に行こうと思うようになった気がします。人事の影響は、こんな子供の頃から経験しているのだなと、今更ながら驚きます。
社会人になって少し会社の様子が分かってくると、会社の人事は、大げさに言えば自分の人生そのものを左右するのではないかと思うこともあります。しかし所詮人事は人間が決めること、そこにはいろいろな思惑が絡み合って決まるのでしょう。

第二次小泉内閣の組閣人事は、人事を決める典型を見たような気がします。勿論誰がどうやって大臣に指名されたかその理由は知る由もありませんが、外から見える決め方に納得するものを感じました。
何が納得する理由だろうと考えた時、従来の派閥の領主が先ず希望する大臣候補を推薦するという方法が、私情を持ち込んだごますりによる人事の決め方を想像させるからです。企業でいうごますり人事とは内容が全く違うにしろ、何故か連想するものを感じます。
一方今回の組閣人事は、言ってみれば社長が事業目的を達成するために、どの部署に誰を配したら事業目的をよりよく達成できるかという実力本位の人事のように見え、人事本来の決め方のように思えます。

自民党の人事では、安部幹事長の抜擢人事が話題を呼んでいます。幹事長の大きな仕事の一つに、自民党議員の定年制実施という厄介な仕事があります。具体的には中曽根、宮沢という大物代議士の首を切る仕事ですが、小泉新総裁や安部新幹事長が一番にあいさつにいったのが、この人達の所だったのは何とも奇異な感じがします。
礼を失することの無いようにということでしょうが、ごますりとどこがどう違うのか、このあたりがどうも人事をきめること、決まった人事を上手く動かすことと大いに関係があり、煩わしい限りです。
大きな組織を動かすには人事が不可欠ですが、上が下を動かすにも、下が動き易い環境を作るにも、本来の組織の機能を果たす以外のエネルギーが必要なようです。

しかし人の間の潤滑油やコミュニケーションだけがよくても、人事は永続きしないように思います。やはり人事が成功するのは、与えられたポジションでの明確な任務と、その任務の遣り甲斐ではないでしょうか。
自分のやるべきことを差し置いて人事のせいにするのは論外ですが、努力するものにその気にさせることが人事の一番大切なことのように思います。
小泉首相は頑固で変人と言われますが、大変気配りの人とも言われます。自分の節を曲げず、かつ部下思いであれば下で働くものはやる気が起きるはずです。その意味では第二次小泉内閣の働きに大いに期待しています。