’03.1〜12
スペースシャトル「コロンビア」が、帰還直前に空中分解をして乗員7名が亡くなった事故は、アメリカはもとよりスペースシャトルを使った宇宙事業計画に参加している日本にとっても、いたましく残念な事故でした。
アメリカ航空宇宙局(NASA)が分解して飛散した残骸を収集して、再発防止の原因究明を必死で行なっている報道を見聞きするにつけ、事故原因の真実が一日も早く見つかることを願うものです。

事故から数日後の今、その原因を特定することは至難なことと思いますが、空中分解する前に機体からはがれ落ちたとみられる破片が発見され、事故原因を究明するカギになると期待されています。
そんな中NASAは、打ち上げ時に機体左翼に衝突したとみられるのは、ポリウレタン製の断熱材のほか、硬い氷の塊であった疑いもあると調査を進めているとの報道もあります。当初NASAはシャトル打ち上げ時点では、断熱材とみられる物体の衝突は、重大なトラブルを招く恐れはないと判断していたようですが、これまでの分析を白紙に戻して打ち上げ時に何が起きたのか、再調査することになったようです。
さらにこれからの調査で、いろいろな事実がわかってくることでしょう。残念ながら結論となる事故原因は、NASAの優秀な技術者の推測か権威ある委員会の断定ということで、事故原因の真実を証明できるものではありません。
しかし、間違いなくスペースシャトルの空中分解を引き起こした、推測でもない断定でもない真実の原因があるのは疑う余地もありません。

同時多発テロ以来アメリカはテロを引き起こす恐れのある国を「悪の枢軸」と呼んで、就中イラクが大量破壊兵器を計画・保持しているということで、先制攻撃してまでイラクを潰そうとしています。
大量破壊兵器開発の疑惑があるのであれば先ず調査をすべきという国連の決議で、国連査察団が結成されました。当のイラクのサダム・フセイン大統領はこの査察団を受け入れ査察に応じ、断じてそのような兵器の開発も保持もしていないと主張しています。アメリカはそれでもフセイン大統領は嘘を言っている、査察受け入れは単なるジェスチャーである、われわれはその確たる証拠を持っていると主張しています。大量破壊兵器があるかないか、真実はただ一つです。
しかしその真実を求めて、かくも多くの国々が人と時間と金を使って追い求めていることを考えると、純粋に何故だろうと思います。
こうして見てくると真実は間違いなくあるのですが、人間の力ではどうしようも探し当てられない真実と、人間の愚かさが故に人間が隠して明かさない真実があるように思えます。

人間の力ではどうしても探し当てられない真実があるという言い方をすると、いかにも人間が全知全能な生き物のように聞こえますが、事実この大宇宙の自然界の中のちっぽけな存在である人間であれば当然の事でしょう。
この種の真実は宗教や哲学や自然科学のことになり、とっぷりと人間の俗世界に身を置く私に語れることではないので置いておくことにします。
さて、もう一つがこの俗世界に隠れて見えない真実の存在です。在るものを無いという、白いものを黒という、人間界にある真実が益々見えにくくなりました。

俗世界にどっぷりとつかった俗人のたわごとをいわしてもらうならば、最初にあげたスペースシャトルの空中分解の原因について、NASAがどんな結論を出すか興味あるところです。
一番最初にNASAが上げた原因が、テロ集団による爆破の報道でした。しかしこれはどう考えても説明できる事ではないし、仮にテロによる爆破だとするとアメリカの宇宙計画そのものに決定的な打撃を与えることになるので、いち早く否定されました。
次に考えられたのが、発射時の落下物によるシャトル左翼の損傷です。これは映像が残っていて素人分かりする原因で初めは否定していたNASAも、白紙に戻って検討すると発表しました。原因も単純で、次のシャトル打ち上げまでに時間を掛けたくないNASAとしては、格好の原因と思われていました。
ところが一転、この原因は考えられないと否定する発表を行いました。発射直後のミスを見逃したとなると、その責任の重大さは計り知れないことになる・・・と考えるのは俗人の極みです。
原因を色々な物的証拠で究明することは、科学的真実を実験で究明するのとは全く状況が異なります。そこにはどうしても人間の恣意が入るからです。かかわる組織の、ひいてはかかわる人々の都合のいい結果が真実として出される・・・と考えるのはこれも俗人の極みです。

次にあげたイラクの大量破壊兵器開発の真実はどうでしょう。国家レベルの真実の究明ですが、スペースシャトルの問題と違って人間が真実を見えなくしている所に、人間の業の深さを感じます。
独裁者が支配する国家では、独裁者が白いものでも黒といえば国民がなんと思おうとも、その国では黒になってしまう所に不幸があります。そしてもっと不幸な事は、それを見ている民主国家が多数決で白か黒かを決める事ではないでしょうか。真実が多数決で決まるというのは不幸なことであると考える・・・これも俗人の極みですが。

何が真実か、人間界の真実は所詮人を見て決めなければならない、そんな事が無いように社会システムがあるのだと言うのも俗人のたわごとだとしたら・・・ワンちゃんにでもなりますか。