’03.1〜12
小中学校の生徒の学習評価が、相対評価から絶対評価に変わって一年余りが経過し、教育に係わったことのないものとして、どんな変化が起きているのか余り良くわかりません。しかし一般的に考えると、それぞれに評価の基準を何処に置くか難しく、一長一短があるようです。
多頭飼いと言うには程遠いですが、ラブを二匹飼い始めて、評価についてのこの相対と絶対ということを考えさせられました。

ラムは今年6才になりましたが、5才までは一匹で飼われてきました。一匹のうちは、ラムの性格や才能については日常比較する犬もいないので、よくも悪くもラムがどんなに優れているものか劣っているものか分かりませんでした。
ただ漠然と犬に対する期待感があって、その期待値に対する比較で、ほめたり叱ったりしている状態ではなかったと思います。
プロの訓練士やブリーダーさんと違って、一般家庭の飼い主は、多かれ少なかれこんな気持ちで犬に接しているのではないでしょうか。家庭犬である限りは、あまり犬の能力を問題にする必要がないからです。
しかしサリーが来て二匹のラブを飼うようになってから、犬にはまぎれも無く個性や得意、不得意があることが分かりました。

性格から言うと、ラムとサリーは際立って違います。控えめなラム、積極的なサリー、これはどうもしつけ以前の持って生まれた、それこそ性格のように思われます。控えめなラムが居てくれて、やんちゃなサリーを育てるのにどれほど助かったことか、今更のようにラムに感謝しています。
単にしつけの問題と言われそうですが、家に入るときドアを開けるとサリーはサッサと入って行きますが、ラムは「入れ」とか「よし」と言われるまでじっとドアの前で待っています。こんな消極的で何事にもワンテンポ遅れるラムに、いらつくことも何度かありました。
ベンチに上る時も、ソファで寝る時も、ラムはサリーが先に居ると決して割り込もうとはしません。サリーはというと、ラムが先にベンチやソファに居ても、一向に意に介せず割り込んで行きます。決してラムとサリーの間に、サリーがそのような行動をする上下関係があるとは思えません。

ラムには小さい時、ボールや木片を投げて持来することを教えました。何回か持来するのですが、そのうち飽いてしまうのかボールや木片の所までは行くのですが、途中で道草をしてそのうち呼び戻しをしないと戻ってこなくなりました。
一方サリーは、こと持来に関しては飽きることなく、こちらが止めない限りはボールや木片を追っかけて持来を続けます。これはもう訓練以前の、持って生まれた何かが違うのではないかと思います。
ラムを訓練している時は何故持来を途中で止めるのか、これはラムがコマンドに対する不服従ではないかと思い随分厳しく訓練をしましたが、未だ持来は永続きしません。年取った今では、原っぱで投げられたボールに向かってすっ飛んでいくサリーの横で、ラムは牛のようにのんびりと草を食べています。ボールはサリーが取りに行くものと決めているようです。

犬を飼うことを決めた時、その犬に何を期待するかで犬種を決めます。その期待に応えるべく、ブリーダーは犬種のスタンダードを目指してブリードしている訳ですが、生まれ出る固体の素質は機械の製造ようには行かないようです。
犬との共生を目指して、今日までラムと生活してきました。しかし、ラムの長所、不得意とする所を十分わかった上でラムと生活してきたかというと、必ずしも理解した上で一緒に生活してきたとは言えません。ラムが持って生まれた不得意とすることも、得意とする事と同じように出来ないとおかしいと思うことがありました。こう思ってきたことを、今は大いに反省しています。

話は少し飛躍しますが、落ち着きの無い子供に対し、それが「多動症候群(ADHD)」という病であると知ったら、その子に対する接し方はその時から少し違ったものになるでしょう。(「症候群」は病名ではありませんが、最近は社会病として色んな症候群があるようです。)
そこまで飛躍しなくても、長所を大いに伸ばし、短所は多めに見てやることは育てると言う観点からは大切なことと思います。
しかし、我が子ともなると何とかオールマイティの人間に育って欲しいと、全ての面での能力の向上を目指します。問題は不得意や短所が本当にそうであるかの判断にありますが、早くそのことを知って長所をうんと伸ばしてやることが、全ての自信につながりいい結果がでるようです。なかなかそこまで割り切って、子供を育てることは容易なことではありません。

遅まきながら、今ではラムの長所を大いに褒め称え、不得意とする所はそうかそうかと言って慰めてやれるようになりました。
一方サリーの能力については、相対的な比較の経験が乏しい私には、未だ良く分からないでいます。そんなサリーの可能性を見出してもらおうと、訓練所に入れてみることにしました。訓練を入れてもらうこともありますが、サリーの持つ長所を見出して、伸ばして行くことに期待しています。
そして、その長所を生かした生活で、人間と犬が共通の目的に向け係わりあっていけると、ほんとうの共生ができるのではないかと思っています。