’04.1〜12
スーパーに買い物に出掛ける時、必ず通らなければ行けないT字路があります。Tの字のーの道路は県道で道幅も広く、車の往来もひんぱんにあります。Tの字の|の道路は幅員が狭く車一台通るのが精一杯の細い道路です。

私が家をでてスーパーに行くには、まずこの細い道を通ってT字路にぶっつかるのですが、ぶっつかる前の右側にはかなり大きな幼稚園があります。
幼稚園までは2台がすれ違うことができる道幅ですが、それを過ぎると急にせまくなり、1台しか通れません。その幼稚園の前を通ってゆくとすぐ私鉄の踏み切りがあり、踏み切りの10m先がT字路になっているのです。
T字路の正面には、県道の左右が見渡されるように大きなミラーが2コ付いていて、右に曲がると10m先に信号があり三叉路になっています。

何の変哲もないT字路ですが、県道を通ってこのT字路を右折ないし左折して細い道に入るのが結構厄介なのです。ミラーは広角に見れるよう凸面になっていて、近くはわかるのですが遠くは小さくしか見えないので、幼稚園の前を通ってこちらにやって来る車はわかりません。
車がいないと思って県道から右折ないし左折して細い道に入ったとたん、むこうから車がやってくるのがわかると、仕方なしにバックして戻るしかありません。ところが県道は車の往来が激しいので、すんなりとは戻れないので往生します。
車がくることが分かっていると、T字路の入り口で待つのですが、待っている間も結構後ろから車がくるので、待つのもプレッシャーがかかります。重圧に耐え切れず仕方なしに、大回りして迂回路を行くこともあります。

一方細い道を通ってT字路の県道にでようとする車は、幼稚園の前を通り一車線になるところで、県道から這入ってくる車がなければそのまま直進して、踏切を渡りT字路に行きます。
一車線になったところで県道から車が這入ってきても待避する場所がないので、県道から這入ってきた車に戻ってもらうしかありません。
幼稚園の手前の、2車線のところで県道から入ってくる車を見かけると、2車線のところで待って車をやり過ごし、やおらまたT字路に向かいます。
交通規則には、互譲の精神がうたわれています。狭い道路の多い市街地は、この互譲の精神が発揮されないと車はなかなかスムーズに通れません。このT字路は、まさにその互譲の精神を試しているような道路なのです。

このT字路を通っていて一番気分がいいのは、待ってくれている車の横を通りながら会釈すると、待っていてくれたドライバーも会釈を返してくれるときです。ついありがとうと言いたくなります。
幼稚園を過ぎて一車線に入ったとき、県道からから左折してきた車が、この車に気がつきももどってもらうのは申し訳ないと思います。しかし、いかにも戻ることに不満げで、こちらの車がウインカーを出して右折することを知っていながら、ほんのちょっとしか戻どってくれません。
右折しようにもでできないので、もう少しさがって欲しいと言うと、逆に文句を言い返されます。ドライバーが意地悪をしているとしか思えず、全く気分が悪くなってしまいます。
ほんのちょっとしたことですが、不利益になることは頑として譲ろうとしない自分の気持ちに赤面することがあります。それが生活を左右することであれば、不条理な不利益は頑として拒むべきですが、不条理な利益は自分を惨めにするだけのような気がします。

今世間は鳥インフルエンザ問題で困っています。そんな時、京都の養鶏場で不審な鳥の大量死を横目に、死んだ鳥まで出荷し続けていたことが事件にまで発展しています。
経営者の、そのときの気持ちはどうだったのでしょうか。そして、その無責任が無限責任(政治学者 丸山真男氏の学説)となって、その重圧に耐え切れず経営者の会長夫婦は自殺してしまいました。このT字路を通るたびに、自分が試されているような気がしてなりません。

(この拙文を書いていて、如何に道路状況を文章で説明することが難しいか、改めて認識しました。分かり難いと思いますので地図を添えることにします。)