’03.1〜12
「喜求欲」、こんな言葉があるかどうか分かりませんが、サリーの家庭犬訓練試験の審査委員の短評に「喜求欲やや足りずも、2〜3の課目を除けば概ね良好」と書かれていました。
「喜求欲」の言葉の意味としては、喜びを求めようとする意欲とでもいうのでしょうか、読んで字のごとく理解できます。「サリーは訓練を、喜んでやってない」という評価なのでしょう。

またひとつ悩みがふえました。サリーは指導手の指示を喜んでないのか、それとも訓練そのものを喜んでないのか、まだ私はサリーに信頼されてないのだろうかという悩みです。
私はいまも、指導手が犬から信頼されていれば、その犬は指導手のどんな指示でも喜んで従うと思っています。しかし、いかに信頼された指導手でも、犬はその指示の内容によって、喜んですることもあるし、そうでないこともあるというのでしょうか。
犬にはボディーランゲージがあって、喜んでいるときの体の動きは分かります。訓練課目の練習をしていても、道具を使った「持来」や「くわえて歩く」は体が喜んでいますが、「伏臥」や「立止」などはあまり喜んでいるふうではありません。
指導手に拘わりなく、喜ぶこととそうでないことがあるんでしょうか。それとも訓練が足りないのでしょうか。

盲導犬や災害救助犬などの使役犬は、やらされる任務が辛いこともあって、喜んでその仕事をしていないのでしょうか。
羊の群れをまとめる牧羊犬は、なかなか思い通りにならない羊達を前に、喜んで羊を追っかけてはないのでしょうか。
これらの使役犬を紹介している本には、人間からみると辛いこんな仕事も、犬達は喜んでしていると書かれています。実際これらの仕事をしている使役犬は、生き生きと、嬉々としてその任務をしているように見えます。
人間が楽しいと思うピクニックで海や山に連れて行ってもらうことが、犬も喜ぶと思うのは人間の勝手な想像かもしれません。

犬は共通して何に喜ぶのか、この喜ぶものを探し当てれば、それを使って犬から色々な能力を引き出すことができるかもしれません。
ここで興味深いことは、その喜ぶ「もの」は、犬種によってかなりはっきり違うということです。犬種の特徴をだすということは、その犬種の喜ぶものを絞り込こんだ努力の結果といっても過言ではないでしょう。
ある犬は物を運んでくることに喜び、ある犬は穴を掘ることに喜び、ある犬は泳ぐことに喜ぶ犬がいます。ひとつの野生の狼が、喜ぶものの目的によって何百もの犬種に分かれていったのは、全く驚きです。

そんな犬種に拘わらず犬に共通の喜びは、食べること、遊ぶこと、子孫を残すことと言われています。それに加えてリーダにほめられることがあるように思います。
しつけや訓練を入れる場合、子孫を残すことを除くこの三つの喜びを上手く使うことによって、その効果を上げることができるように思います。

さしずめ「喜びを求める意欲」をどうやって高めるか、サリーにはどうもこれが問題のようです。
指導手としての私との信頼関係はそれなりにできてきたとして、残るは訓練をすることをどうしたら喜びと思うか。訓練をすることが楽しいから、うれしいからと思ってもらうことが必要なようです。
そのためには訓練を食べることと結びつけるか、遊びと思ってもらうか、それともリーダと自認する私からほめられるから、喜んでもらえるからと思わせるか・・・・。
不平、不満を言わぬサリーを相手に、意思の疎通を図る努力は続きます。