’03.1〜12
ラムとサリーと生活していて、この二匹に対する私の付き合い方は少し違います。
ラムには、人間社会で生活していく上の一通りの躾は教えました。毎日の生活はこの躾を応用しながら、社会や家庭に迷惑をかけないようにして、我々家族と共生しています。
時には癒しを与えてくれ、時には心配をさせられながら、それこそ家族の一員として居ることがごく自然な存在です。
サリーとの生活もここまではラムと一緒ですが、ラムと違うのは、更にショーや訓練課目の練習を私と一緒になってしてしていることです。

テレビで見かける牧羊犬。広々とした草原で、飼い主の意思に沿って羊の群れをコントロールする犬をみると、犬も楽しそうですし、飼い主と犬との意思の疎通を羨ましく思います。
狩を手伝う犬、災害救助などをする使役犬は、人間と犬が共同作業をするということで、犬との共生はきっと充実感があることでしょう。
普通に家庭で飼っている犬に、ここまでのことを望むことはできません。しかし何か共同して同じ目的に向かってできることはないかと始めたのが、サリーとのオーナーハンドリングによるショーの出陳であり、訓練課目の練習でした。
しかし、はじめてみるとサリーとの共同作業という形はできるものの、心が通じ合ってないことを強く感じました。私と一緒に走ることや、コマンドに従うことはサリーにとって全く楽しそうにないのです。
訓練士さんとは楽しそうにすることを、なぜ飼主の私とする時は楽しくないのか、よく分かりません。そのことはこのコーナーの「犬の気持ち」にも書きました。

サリーが訓練所から帰って一年余りが経過します。帰ってから半年の間は、ショーに出てそれなりの格好がつくように、見よう見真似でサリーと走りました。
回を重ねるたびに、サリーはショーで私と走ることが、楽しくなさそうなことが分かりました。走る練習をしても喜んでいる様子もなく、私はショーに出ることはサリーにとって楽しくないことだと思い、ショーに出すのはやめようと思うようになりました。
丁度ショーのシーズンも終わり、その頃からボール遊びを主体にサリーと自由に遊ぶことが多くなりました。

遊ぶことを中心に2ヶ月くらい経過した頃から、サリーは私と付き合うことが楽しいと思うようになったようです。生活の中でも私に関心を向け、何か楽しいことをしてくれるんではと、私に注目するようになったのが分かります。
その頃から、忘れていた訓練課目の練習をはじめました。体重も減って動きやすくなったこともあるのでしょうが、今まで嫌々走っていたサリーが、嬉々として走るようになった気がしました。
私に対する集中度も増し、訓練課目の練習も次はなにをするのという感じで、私とアイコンタクトをします。
これらはいずれも私の感じであって、サリーが私に心を通わせるようになったかは分かりませんが、以前と違うことは確かです。嫌々私に付き合うという感じが、しなくなったのです。

アイコンタクトをしていて、主人が笑顔になると、犬も尻尾を振って喜ぶような関係になるのがよいといいます。
そこまで行くかどうかわかりませんが、やっとサリーは私と付き合うことが楽しいと、感じてくれるようになったのは間違いなさそうです。訓練の練習もはかが行きそうで、ちょっぴり楽しくなったこの頃です。