’04.1〜12
「ラムの日記」を書き始めてから、そろそろ5年になります。ラムの目線で日記を書いているつもりでいますが、単にラムの口を借りて書いているだけで、未だラムの気持ちが分かっているかと聞かれると自信がありません。
逆にラムの方は意外と家族のことを観察してたりして、口が利ければきっと一人一人に対し、おもしろい批評をしてくれるかもしれません。

家族の中に入った犬は、自然と家族の中の自分の順位を決めていると言われます。しかし家族の人からみると、はたしてその犬が家族の中で何番目なのか、多分自分より下だろうと思っても、本当のところは分かりません。意外と犬の方は、自分が上だと思っているかもしれません。
しかしことリーダーに関しては、犬の立場からみてもはっきりしているように思います。家族で言うと、α症候群の犬は別として、やはりご主人をリーダと思っている犬が多いのではないでしょうか。

このサイトの「アンケート」のコーナーで、「一番好きな人」をアンケートしていますが、500近い母数のうち60%がお父さん、30%がお母さんが一番好きという結果です。
我が家の場合は、私からするとお母さんが一番好きなように思えますし、家内からするとお父さんが一番好きではないかと言います。まあ、犬達が家族の中で誰が一番好きかはどうでもいいことですが、自他共にリーダと自認する私と、家内に対する犬達の接し方は、明らかに違います。
極端な言い方をすると、私には独裁者に対する恐怖より作られた好きであり、家内には純粋に、心から好きだと思っているような気がするのです。

私は犬達に対する叱り方も褒め方も、余りうまい方ではありません。ラムとサリーは性格の違いもあって、特に叱られた時のそれぞれの態度は明らかに違います。
叱られている時は、口調におされて恐縮な態度をするのは、ラムもサリーも変わりませんが、私の態度がもとにもどると、ラムは相変わらず恐縮の態度を変えません。一方サリーの方は「いや〜〜、どうもどうも・・・」という態度で、尻尾をふりふり体をくねらせて近寄ってきます。
それと同じようなことが、訓練をしている時にも見られます。コマンドを無視したり、緩慢な行動をしたときチョークをいれると、ラムはいじけてしまいますが、サリーは「いや〜悪うございました」とばかり、素直にコマンドに従うようになります。

訓練の時の訓練士と犬との関係を考えてみると、リーダである訓練士と犬との関係は一時的なものといえます。犬にとってみれば、訓練士はコマンドさえ忠実に実行していれば、後は楽しいことばかりしてくれる人という気持ちでしょう。
ところが家族のご主人であるリーダとの関係は一時的なものでなく、言ってみれば一生付き合わなければならない関係です。
ご主人が指導手の場合、犬に対して、訓練のあとにはご褒美としてちょっとは楽しくうれしいことをしてやるでしょうが、その後はまたリーダと犬として日常的な関係に戻ります。
「犬は幸せな気持ちになった時、その指導手に従う」と言われますが、家族のリーダと犬との関係で、犬がいつも幸せな気持ちになっているものでしょうか。このあたり、犬がどういう気持ちでいるのかよく分かりません。

家庭犬で、「訓練士さんの言うことは喜んでよく利くが、飼い主のコマンドには不承不承でちっともうれしそうでない」ということをよく耳にします。実は我が家のラムもサリーも、私がする訓練は楽しくなさそうです。
訓練をさせるテクニックが違うこともあるでしょう。が、それ以外の要素もあるのではと思うのです。自分達のリーダであるということが、おもしろくないという要素にあるのではないかと思うのです。
サリーの場合、私を甘く見ているなと思ったらチョークチエンでチョークします。すると、メリハリの利いた動作をしますが、どうも恫喝しながら訓練をさせているようで、お互い楽しくありません。ラムやサリーが訓練することが楽しいという態度でやってくれると、それこそどんなに楽しいことでしょう。

犬とコミュニケーションをとりながら何かをすることは、犬との共生で大変幸せなことです。しかしまだまだラムやサリーの気持ちを分かってなくて、そんな共生ができてないのが現実です。