ラムと一緒に生活していて、ふとラムはわれわれ家族にとって何物だろうかと考えることがあります。庭掃除をしていると、ラムは私の後をずっとついて回ります。それは、息子たちが小さかった頃の仕草を彷彿と思い出させ、この時はああラムは子供と一緒だなと思います。言ってみれば家族の一員、子供同然というところでしょう。したがって子供達からすれば、兄弟、姉妹といった感覚ではないでしょうか。

私たちが小さかった頃、家にいたワンちゃんはたぶん使用人という感覚ではなかったでしょうか。ペットという概念が一般的でなかった頃のことですから、さしずめワンちゃんに対する感覚は、番犬なんという言葉があるように、こんな位置付けじゃあなかったかと思います。しかし、ペットという言葉が一般的になってからのワンちゃんの位置付けが、かなり複雑になったように思います。

世の中で言う盲導犬、介護犬、災害救助犬などなどの役務犬は、その活動が目に見えてすばらしいだけに、人間のパートナーとして位置付けられます。家庭にいても、家族の一員には違いありませんが、子供という位置付けは何となくピンときません。

ラムは、私たちにとって子供同然の家族という面が強いのですが、あるときには私たちのパートナーではないかと思うことがことがあります。特別の訓練を受けたわけではありませんので、役務犬としてのパートナーと言うのではなく、心の、気持ちの、今で言う”癒し”を受け持ってくれるパートナーと思うのです。

アニマルセラピーと言う言葉があるように、それは私達の家族に対しても大いに貢献しているように思います。私がそのことを実感するのは、庭の隅のベンチに腰掛けていると、いつのまにかラムがベンチに上がってきて、私の膝に上半身を乗せじっとしているときです。それはそれは、何とも言い表せない気持ちになり、癒しのホルモンが出てくるような気分になるのは不思議です。そんなときは、ラムを子供と言うよりよきパートナーと思います。