成人式の祝辞でよく聞く言葉があります。「君達は今日から大人の仲間入りをした。お酒もたばこも自由にのむことができる。しかし、一方で自分の行動には責任を持ってほしい。おのずとそこには規則というものがある。」そしてその次に出てくる言葉は、所詮規則に縛られているんだから自由なぞありえない。

家族で一つ屋根の下で生活していると、やはりその家の規則と言うものがあるものです。その昔は、家長たるものその規則を明文化することもありました。しかし現在は、そんなことをする家庭は稀でしょう。しかし明文化しないまでも暗黙のうちにか、または折にふれ規則らしいものを、小言や喧嘩のなかで主張して、何時の間にか家の規則として出来上がっているように思います。さすが民主主義が行き渡っていますので(いや単に、家長たるも者の権威が落ちただけかもしれませんが)、家長が一方的に決めるのではなくて、家族の総意みたいなもので出来上がっていることが多いと思います。

社会人になって自立できるようになると、その家庭の規則がなんとなしに窮屈になり、独立して家を出て行くことになるのでしょう。その点からすると、我が家の(ラムの立場で言う)上の兄さんはまだ居候を決め込んでいるところを見ると、我が家の規則が甘いのかもしれません。独立する条件は、必要かつ十分にあると思われるからです。

ラムのことを思うとどうだろう。自由があるだろうか。人間とワンちゃんを一緒に考えることがおかしいと、一方では思います。自由だから不幸なワンちゃんも沢山います。ワンちゃんと共生することは、この「ワンちゃんの自由」を大いに考えることが大切なように思います。「ワンちゃんの自由」も人間が決める一つの規則だからです。しかしそれが、国が決めなければならない規則になるようではいささか残念に思います。