常識が無いとか非常識とか、またあの人は常識のある人だとか、あまり深く考えないで使うことがあります。
常識、非常識の基準は何かと聞かれるとちょっと考えてしまいます。基準はどうも自分自身の常識のように思います。そうは言っても、一般的に言う常識とはその8割方は万人に共通する常識ではないでしょうか。

しかし、最近の社会で成功する秘訣は、この非常識を常識にすることが必要なようです。いち早く自社製品を世界標準にすることにしのぎを削っている企業は、常識的人間より非常識人間を珍重するようですが、こんな傾向が一般社会に蔓延するとちょっと困ります。常識的に見てどうもおかしいと思われる風潮が、そのような見方でそれもまた良しとすることは、ちょっと一般社会で言う常識、非常識の範疇とは違うように思います。

ワンちゃんを飼っている人と、飼ってない人の常識もおのずと違うように思います。したがって、一方で見ると常識的なことが、一方から見ると非常識に見えると言う不幸は結構あるものです。最近は結構理解が深まってきましたが、集合住宅でワンちゃんを飼うことが問題になることなんかは、古くて新しい良い例でしょう。ワンちゃんを飼うことを前提にして、いろいろな社会インフラが出来ているかというと、日本の場合はワンチャンを飼うことがまだ常識になっているとは思えません。

ワンちゃんを飼うことを前提にして、公共施設を考えてほしいという常識は、飼ってない人から見れば非常識に思えるかもしれません。しからば、そのような特別な施設を要求するのではなく、一般の公共施設であっても、ワンちゃんと共生していける方法を考える方が常識かもしれません。

そのためにも、ワンちゃんが一般の公共施設を使っても迷惑を掛けないような、問題を起こさないような配慮をして、今ある公共施設をわんちゃんと一緒に使える市民権を得ることの方が大事なように思います。そのための常識はぜひ持ちたいと思います。