先代の三遊亭金馬師匠の落語「居酒屋」にこんな枕があります。酒、一杯にして人酒を飲み、二杯にして酒酒を飲み、三杯にして酒人を飲む。お酒をたしなむ私は、「酒なくて、何で己が桜かな」なんて、この桜の季節は随分おだをあげる機会が多くありましたが、お酒は飲みようによって気分転換には欠かせないもののようです。しかし、また飲みようによっては酒人を飲むと言われるほど、始末の悪いものはありません。

酒は人を変えると言いますが、いささか理性を司る脳が麻痺して、その人の本性が現れるんだとも言われます。建前を素通りして、本音で話すのにはやはりお酒は大変有効な潤滑油になります。

お酒のこんな効用ばかりでなく、お酒本来の飲み物としての味わいも最近は随分と研究されてきて、美味しいものが出てきました。ここでいうお酒とは、やはり日本酒のことを思って言っています。ひところの舌に纏わりつくようなお酒から、さらっとしたのど越しのいいお酒がもてはやされているようです。日本酒は二日酔いをするからと敬遠される方が結構いますが、最近のものは酔い覚めも良いようです。もっとも美味しいからと言って、量多く頂けば何を呑んでも翌日はつらいのではないでしょうか。

お酒に酔うと、これまた色々な癖が出てきます。笑い上戸と泣き上戸、果ては怒り上戸までありますが、経験的には笑い上戸と怒り上戸は同居しているように思います。お酒を飲んで、何となしに愉快な気分になることもありますし、無性に腹立たしくなることもあり、お酒はそんな人の心をあからさまにしてくれるところが一番の効用ではないでしょうか。

しかし所詮お酒を飲むのは個人の責任、酒のせいで、酒の場だからといって許される時代は昔のこと、今は酒の上の出来事で自己責任を許されるものではありません。ラムには悪いのですが、今日はちょっぴり美味しいワインを頂いたので、お酒についての思いを書いて見ました。呑んだお酒がワインだったのが、ちょっとまずかったです。