忘却とは忘れ去る事なり。忘れ得ずして、忘却を誓う心の悲しさよ。
こんなナレーションで始まる連続ラジオ小説「君の名は」は、不思議と今でも思い出します。かの有名な菊田一夫のすれ違いメロドラマですが、聞いたのは小学生の低学年頃ではなかったかと思います。映画化が1953年頃ですから、随分昔の事でもあり、自分ながらおませだったんだなと感心しています。

突然こんな話しで恐縮ですが、物覚えが悪くなった最近、忘れる事を恐怖に思う一方で忘れる事のありがたさも思うことがあるからです。
適当に忘れる事が、明日への活力にもなり過去の呪縛から解放してくれるありがたい頂きものだと、寂聴さんの説法で聞いたように思います。

しかし覚えている事を一つ一つ思い起こしてみると、忘れたものが無いようにも思えるのもこれまた不思議な事です。結局はみんな覚えているのですが、思い出すと言う努力をしないと思い出せない記憶と、嫌でも思い出す記憶とあるのでしょう。嫌な記憶は、できるだけ後ろの方にしまっておきたいものです。

記憶を忘れさせてくれる妙薬は、時間とチョット大袈裟ですが脳細胞の減少でしょうか。後者は置いておく事にして、時間が忘れたいことを忘れさせてくれる一番の薬とは良く聞く言葉です。

だんだん鮮明な記憶が、時間の経過と共に薄れて行く。楽しかった記憶は薄れ方が早いですが、つらい事は遅いように思います。それでも忘れている時間の方が、だんだん多くなっていく。嫌なことがあったときは、その記憶を埋もれさせるような新しい記憶を重ねて行けばよいのでしょうが、嫌な記憶に執着するので積み重ねる記憶が少ないのかもしれません。気分転換、言うは易しいですがなかなか自分の気持ちを自由にコントロールできない私のような凡人は、難しい事のように思います。

ラムも記憶は良い方ですが、ものごとの関係、理解力が無いがために今と過去のつながりがつかず、一見忘れたしまったかのように見えます。このことを人間が理解してやれば、結構おもしろい付き合いが出来そうだと改めて感じています。