哺乳類の中でも笑うことが出来るのは人間だけと言いますが、いや顔の筋肉が発達しているだけで表面的に見えるだけであって、みな同じ感情を持っているんだとも言われます。いずれにしても、心から笑うことは精神的に大変良いことには違いありません。しかし、感情の発達した人間にはこの笑うと言うことにも、感情によって色々な種類の笑いを作ってきました。

心を許した友達同士の会話は別にして、多少裃を着てする会話は笑いの”せりふ”が結構意味を持っていることに気が付きます。いわば会話の潤滑油であったり、もうこんな会話は止めにしてほしいなと言うブレーキであったり、そんなことで色々な種類の笑いが出来たのでしょう。

細かい観察は抜きにして、笑い方となるとあまりその時の笑う感情には関係なく、人それぞれの笑い方があるように思います。そして、聞いていても羨ましいようなすばらしい笑い方をする人が居ます。こんな笑い方のできる人と会話していると、会話も弾むし会話そのものが楽しくなるから不思議です。

私も人と会話をすることの多い仕事を長年やって来ましたが、意識し訓練すると自分の理想に近い笑いができることが分かりました。
どんな笑い方が理想かは、人それぞれがこの笑い方が良いと思うものを目指せば良いと思いますし、その笑い方を聞いてまた自分なりにこの人はこんな人なんだなと思えばよろしいのではないでしょうか。

ラムの笑いはもっぱら体で表現してくれます。ああ今は、こんな笑い方をしているんだなと思うと、色々な笑い方をしてくれます。そして人間とは逆に、小さい頃は結構あいそ笑いをしてくれましたが、大きくなるに連れ本音でしか笑ってくれないように思えてきました。それだけに、ラムとの会話もいいかげんではまずいなと思うこの頃です。