会話には声にして言葉を交わす会話と、もうひとつ声に出さない言ってみれば心の会話があるのかなと思いました。多くの方がご覧になったかもしれませんが、NHKの ドキュメントにっぽん”妻”を書く男たち の番組を見ててそんなことを感じられた方が多いのではないでしょうか。

いま、江藤 淳が、亡き妻のことを思い書いた「妻と私」が出されたあと、先立った妻のことを書くことが静かなブームのようです。テレビに出られた男の方が、結びに一応におっしゃっていたことは、今こうやって妻のことを書くことによって、妻と本当の会話が出来ているように思う。なぜ生きているうちに、この会話が出来なかったんだろうという慙愧の思いでした。皆さん60才位の方々でした。

実感することは、丁度これくらいの年齢の男の方は、女性との会話が事のほか下手ではないかと思います。生い立ちも、場合によったら多感な中学、高校時代のクラスが男女別々であったりして、異性との会話の訓練が十分でなかったからかも知れません。

また、家庭生活の大事な時期はサラリーマン戦士として、家庭を顧みず仕事に明け暮れ、妻との会話はもとより、子供の面倒も十分に見てやれなかったのではないでしょうか。いま流行の演歌「孫」も、そんな実態と償いの男の気持ちが受けている理由かもしれません。

ラムと共生していて思うことは、ラムは精一杯の色々な手段を使って、家族に話しかけてくれているに違いありません。言ってみればラムと心の会話をして、今度は家族からラムに分かる精一杯の表現で、ラムに応えてやらねばと思っています。

そう考えると、心の中で妻に対する感謝だとか、思いやりだとか色々なことを思っているいる男たちは、本当の気持ちを言葉にして声にして、妻と会話すべきなのでしょう。多少恥ずかしい言葉でも。勝手に、本当の気持ちは心の会話で分かってほしいと思うのは、所詮男の一方的な会話かも知れません。