暦は3月から4月へとバトンタッチ。卒業した人達が、新しい世界へ飛び立つ希望に溢れた時を送っていることでしょう。とりわけ、これから社会人として飛び立って行く人にとっては、「人生設計」、「生活設計」を思い描いて、大きな夢が膨らんでいることでしょう。

私に残された卒業は、程なく迎える会社人としての卒業と、あと一つ大きな卒業を残すのみと考えると、いささか寂しい思いがします。そんなやっかみから書くわけではありませんが、設計通り、計画通りに歩んで行ける人生はほんとに稀ではないでしょうか。

社会人になる前の人生は、家庭・学校という大きな庇護のもと卒業という大きな目的に向かって、比較的分かりやすい道を進むことが出来ます。予め計画され与えられた道程を進んで行けば、だいたい卒業と言うゴールに辿りつくでしょう。

しかし社会に一歩踏み出した時から、自分にふさわしい道を自分で探して進んでいくことになります。その時、自分の「人生設計」を明確に描ける人は幸せです。しかし、思い通りにならないのも人生、内乱があったり外乱があったり、その都度試行錯誤をして軌道修正してみては、目的を見失ったり、その目的すら分からなくなったり、歌の詞ではないですがそれもまた人生なのでしょう。

最近思うことは、人生の目的を持つことよりも、人生を歩んでいる時に人間としてどんな気持ちでいるかということのほうが、もっと大事なように思います。愛する、思いやる、協力する、なぐさめる、助ける・・・私自身が明確な人生の目的を持ち合わせてないだけに、そんな気持ちを大事にして生きて行けば、間違いのない人生の卒業が出来るのではないだろうかと思っています。

ラムのことを考えると、ラムの卒業って何だろう、みんな与えられることしかない人生、いや犬生。そう思うと、家族がラムの犬生を左右しているという大変なことに気づき、新たな気持ちでまたラムと付き合って行こうと思います。