20世紀も今日という日を残すだけになりました。私もこの世紀を半分以上生きてきた事になります。20世紀の前半の50年は、第一次、第二次世界大戦という戦争の時代でしたが、幸いにも歴史本でしか知る事が出来ません。
後半の50年はこの世に生を受け、大袈裟に言えば自分史を刻んできた事になります。この50年も、前半の25年は両親の庇護の元、学生と言う枠の中であまり鮮明でない出口の明かりを目指して生きてき、そして無事学生生活を卒業することができました。
後半の25年は、自分で作った会社人という枠の中で生きてきました。そしてこの会社生活も、「皆さんのお陰で大過なく」という謝辞を残して終わろうとしてます。いずれも自分の作った枠ではありますが、埒外な生き方で無かったことが果たして良かったのか悪かったのか反省している所です。

枠を踏み出して生きていく、いい意味でも悪い意味でも使われる言葉ですが、いずれの生き方もすごくエネルギーのいる生き方だと思います。悪い意味の生き方は置いておくことにして、生きていく上には大なり小なり、色々な枠が自分の回りにあるように思います。不思議なことに、踏み越えた枠はその時は枠という意識がないことです。後から振りかえって、ああ、あの時あんな枠を越えてきたんだなと思うことがあります。そんな時、回りの人から「一皮剥けた」と誉められることもあるでしょう。
そう考えて見ると、所詮枠というものは自分で勝手に作っているものではないかと思います。その枠を一旦意識してしまうと、その枠はなかなか越えられなくなってしまうことが多いようです。

私にとって学生生活、会社生活というはっきりした枠は超えることが出来ませんでした。これから迎える21世紀は、自分史にとって・・・枠らしい枠が見当たりません。これぞいいチャンス、そんな希望を持って見えない枠を越えていける世紀にしたいものです。