歯が痛い、傷が痛む、頭が痛い、こんな時ちょっと注意を引くことがあったり、夢中になったりすることが起きると痛さを忘れる経験は良くします。重みは大変違いますが、日常生活に色々な痛みを思った時、感じた時、知らない内にこれと同じ経験をするものですが、あまり意識することはありません。体の痛みと心の痛みの違いがあるからでしょうか。
何かに夢中になっている時は、少々の痛みや苦しみは何時の間にか乗り越えているものですが、夢中になるものがないとなかなかその痛みは取れないように思います。

厄介なことに、夢中になることは自分の痛みを忘れるだけでなく、人様の痛みまで忘れてしまうことがあることです。夢中になっている時は、なかなかその夢中の度合いは分からないものですが、さめてしまうと周りがとんでもないことになってしまっていたということはよくあります。生き死にかかわることに対する夢中は、夢中にならなければ生活して行けないこともあるので、それだけに一層厄介です。
そんなばかな、毎日毎日を生きているんだから、四六時中夢中ということなんてあるはずがないと思いますが、どうも結果から見ると精神状態が夢中という状態にセットされていると、長いスパンで考えるとやはり夢中の範囲の中にいるように思います。

こう考えて見ると、ある程度歳をとって生きていくことに痛みを感じ始めた時には、何かに夢中になればいいのではないでしょうか。それが趣味と言われるものであったり、趣味を兼ねた仕事であったり、ボランティアであったり、インターネットであったり・・・。
ただこれらの夢中はあまり生き死に関係しないものなので、精神状態がこの夢中にセットされっぱなしということはないでしょう。

どうも所詮生きていくことは痛みと思い至ると、少しは心が落ち着くように思います。この痛みが生きている証だと思うと、仕方ないのかなとも思います。
その痛みの癒し方は、生きている今の歳によってそれぞれ違うように思います。夢中になる対象が違ってくるのもこのためでしょうか。
夢中になったその中に、生きてる証を見出せれば言うことはありません。家族と共に、ラムと生きていくことに夢中になれれば、これが今の一番の幸せなのかも知れません。