何のためにという言葉を頭につけて、自分の毎日の行動を振り返って見ると、果たして何割の行動に明快な答えを持っているでしょう。考えて見ると何のためと問われる行動の目的は丁度一本の枝のようになっていて、ある目的のために色々な行動をし、その目的も別の大きな目的のためにしているということではないでしょうか。

「卒業」のテーマのところでは、人生の目的を持つことより、今人間としてどういう気持ちで行動しているかということの方が大事であり、その積み重ねが良い人生の卒業を迎えるのではないかと書きました。
目的を持つことを否定しているのでなく、目的に到達するまでには紆余曲折があり、目的すら見失うことの多い人生、その時の目先の明かりは、人間として何が大切かという考え方ではないでしょうか。その明かりをひとつづつ辿って行けば、自ずと間違いのない人生の目標に辿りつくように思うからです。その目先の明かりとは、愛する、思いやる、協力する、なぐさめる、助ける・・・という人間愛ではないかと思います。

最近の学生は、勉強をしなくなったと良く言われます。勉強の目的が、大学に入るためであり、いい就職先を見つけるためであるとするなら、勉強しなくなった理由もわかるような気がします。いい就職先なぞ多分なくなったからです。
勉強の目的が、自然の摂理、人間の在りようを学ぼうとするためであれば、ますます勉強に拍車が掛かるようになるでしょう。それはとても面白いことだし、興味を引かれることだからです。記憶をする勉強でなく真理、仕掛けを学ぶ勉強は、忘れることなく確実に知識として身に付くように思います。結果としていい就職先なぞ必要なく、どんな仕事でもいい仕事にしてしまうでしょう。

何のために学び、何のために苦労するのか。惰性でなく、その理由を静かに思い致すとまた励みも出て来ます。ラムの犬生の目的は・・・私達家族が考え与えてやらなくてはと思うと、その責任は大変重く感じます。