日経の夕刊で、作家阿刀田 高さんの「民度と堆積物」というタイトルのコラムを読んだ方も多いと思います。犬を飼っている一人として、「愛犬家が日本の民度を計るバロメータになっているんですよ」という趣旨に対し、そんな風に見ている人もいるんだなという点で心せねばと思いました。

読まれてない方のために趣旨の概要をご紹介します。
大勢の愛犬家の中には不心得者がいる。とりわけ気がかりなのは路上に残される困った堆積物。あんなものを他人様の門前などに放置して飼い主はーどういう心理なのかーと、なさけなくなってしまう。不愉快千万。断固取り締まって欲しい。・・。
だが、お立会い、わたしのもう一つの考えは、条例などによる厳しい取り締まりもヒステリックなリベンジも、この件にはそぐわない。・・。ようするにこれは民度の問題なのだ。
ペットを飼う理由は、一般的には、心をなごませ、心にゆとりを持たせるためのもの。ならばそれにともなう厄介ごとも、ゆとりをもって対処せねばなるまい。社会の成熟に務め、民度の高まりを待つのが大切だ。
それでも駄目なときは、−日本人はその程度のものなんだーわれとわが身の不幸を嘆くよりほかにない。不心得ものにはアルバイトで犬を散歩させている人や子どもが多い。・・。その責任は彼等に仕事を委ねた飼い主の方にも充分あるはず。見ぬもの清し、では困る。あなたのお宅は大丈夫でしょうか。(’00.9.11日経夕刊、「あすへの話題」) ざっとこんなようなことが書かれていました。

このコラムを読んで考えさせられたことは、豊かな生活、ゆとりある生活は身近になったが豊かな社会、ゆとりある社会はまだ遠いのかなということでした。そして、そんな生活のステータスシンボルとして犬を飼っている愛犬家はいないと思っているんですが。