またぞろ政治の世界が騒がしくなった、地球規模の環境汚染も悪くなる、自然エネルギーも枯渇に向かっている、災害に遭った方々が悲惨な生活を強いられている、相変わらず争が各地で起きているなどなど、私を取り巻くこんないろいろな問題に対して、どれほど自分ごととして捕らえているだろうか。
冗談じゃない、そんな他人ごとはどうでもいいじゃないか、私の今日、明日をどう過ごして行くかの方が最重要問題だとも考えます。

考えて見ると私ごときも、あまり意識をすることはありませんが私人と公人の二つの立場を使い分けています。公人というと、私の場合は企業の組織上で活動する立場が頭に浮かびますが、国民と言う観点で考えると常に公人といえるのではないでしょうか。
国民と言う公人の立場で考えると、他人ごとがどれだけ自分に多いか反省しきりです。

その点では為政者は公人の更に上を行く公人ですから、その責任はどれほどの重荷なのか残念ながら私には計り知れません。その公人の更に公人の活動に対して、5割以上の人が他人ごととして見るのはどうしてでしょう。この所の選挙で、5割以上の投票率を見ることは極めて稀になってしまいました。

アメリカの大統領選挙の方法がベストとは思いませんが、我々の国のリーダを今選んでいるんだと言う実感は、日本国民よりアメリカ国民の方がはるかにあるように思います。
いま日本のリーダも、消えかかった蝋燭の火のように風前のともし火のようです。次ぎのリーダに誰がなるか、結果は関心がありますが選ぶことには他人ごとのような気がします。今度リーダになりたいという人も、何かをやってくれそうだという期待が持てないのは不幸なことです。

不思議に思えることは、リーダの回りには沢山の知恵者が居そうですが、結果になにも現れないのも理解できないことの一つです。今私にとって他人ごとでないのは、以前より通信費がかさんできたことです。
I T革命でやってほしいことは、リーダがパソコンを使えるようになることではなく、安くて早く情報の活用ができることです。こればっかりは、ホントに自分ごととして感じます。