時々近くのファミリーレストランに出かけることがありますが、どうしても馴染めないことに店員さんのあいさつがあります。「いらっしゃいませ、こんにちは〜」
「いらっしゃいませ」にはどうということはありませんが「こんにちは〜」には何回聞いても馴染めません。馴染めないというよりなれなれしさを感じて、かえって不快感をもよおします。
家内と一緒に聞くことが多いので私がぶつぶつ一人不快感を言うと、家内には親しみがあっていいじゃないかと諭されます。

先日KIOSKで130円の商品を買い、150円払いました。店員はまず品物にシールを貼ってカウンターに放るように置きました。うーん、内心投げなくってもいいじゃないかとむっとしましたが言葉は飲みこみました。
次に30円のお釣を渡してくれるのでカウンターに置いてくれるのかと思ったら、持った手を宙に浮かして待っているので私は手を出しました。出した手に、これも投げるようにお釣の30円を渡すので、とうとう言葉が飲み込めずに 「買ったものやお釣を投げなくったっていいじゃなか」 「・・・すいません」 「お客に失礼だぞ!」 「・・・・・」
相手は若い女の店員さん、悪気ではないでしょうが文句を言った後味の悪いものを感じながら店を出ました。

この二つのケース、はじめのケースは多分接客に関するマニアルがしっかりできていて、そのマニアル通りに客との応対をしているのでしょう。その後の応対の言葉にもそつなく、感情なく、後からのお客にも同じような応対の言葉でした。
一方KIOSKの場合は特別マニアルで教育された様子もなく、個人のセンスにまかせているのでしょう。こういう接客マナーの出来ていない店員を使わなければならない店の経営者は、店のイメージを落とさない最低限の教育として、マニアル通りの接客をさせるのも仕方ないかなと思いました。

お店の店員を希望して仕事をするからには、マニアルに縛られてその範囲でしか言動が許されないのは、何とも残念でつまらないものではないでしょうか。せっかくの知らない人とのコミュニケーションという、接客の面白さを味わえないのですから。
機械相手の決められたことを仕上げるには、ミスを無くすためにマニアルは欠かせません。しかし、心と感情のある変幻自在な人間を相手にする仕事の場合は、自分を磨くいいチャンスでもあり、マニアルに縛られないで真心を尽くして応対してもらいたいものです。
尽くした心は、また来てくれるというように何倍にもなってお客様から返ってくるのですから、この喜びを体感するのが店員の仕事の本当の醍醐味ではないでしょうか。ラムと付き合ってても、そう思うくらいですから。