入力(インプット)があって出力(アウトプット)があり、入力と出力の間に箱(ボックス)があって、この箱がいろいろな働きをすることによって、入力したものが目的のものとして出力される・・・世の中のいろんな出来事や現象を、こんなモデルで説明することができます。
挽いたコーヒ豆と水をコーヒメーカに入れると、おいしいコーヒが出てくるというたとえの場合、挽いたコーヒ豆と水が入力で、おいしいコーヒが出力ということになります。この場合コーヒメーカは箱に相当し、どのコーヒメーカをとっても仕掛けや原理はだいたい同じです。

ところが入力するものは同じであっても出力されるものがいつも違ったり、出力されるものはいつも同じでも、なぜ同じものができてくるのか理由が分からないという場合があります。
入力と出力の間にある箱がどんな働きをするのか、どんな仕掛けになっているのか人知ではうかがい知れない場合があります。このような箱のことをブラックボックスと呼んでいます。
たとえば上薬を塗った陶器と薪を窯に入れ精魂込めて焼き上げた結果、名器といわれる器ができたり、割って捨てるような器ができる場合があります。このときの窯はさしずめブラックボックスといえるでしょう。
余談ですが、航空機事故で問題にされるフライトやボイスレコーダが収められている箱もブラックボックスといいますが、箱自体は見つけ易いように赤く塗れています。事故原因が究明できる情報がこの箱の中に入っているという意味でブラックボックスといっているようで、ここで言うブラックボックスとはちょっと意味が違います。

人間はこれまでにいろんな分野で、このブラックボックスを解明しようと努力してきました。上で紹介したコーヒメーカや窯という物(ハードウエア)は、物理的に作って試してみることができます。ところが情報が入力となるようなブラックボックスは、物理的な物を作って試すことができません。そこで威力を発揮したのがコンピュータの出現です。
たとえば現在の観測地点での風向、風速や気圧などの気象情報(入力)を、コンピュータを動かす命令(プログラム)で模擬的な現象が実現できるモデル(シュミレーションモデル)に当てはめていくと、数時間、数日後の高気圧、低気圧や台風の進路や気圧の予報(出力)ができるなどはいい例でしょう。(この時のプログラムやプログラムで作られたモデルを先ほどのハードウエアに対してソフトウエアと呼んでいます。)
シュミレーションモデルが精巧なほど正確な予報が出ますが、そのためには出力を現実と突き合わせてモデルの修正をするなどの試行錯誤が欠かせません。

理科系の分野ではこのブラックボックスの研究は随分と進み、もっとも神秘といわれる遺伝子の探求まで進んできました。
物質の研究も分子、原子から今や素粒子の研究が花盛りです。微細な科学現象まで研究は進んでいることに反し、微細物資の集合体である人文系の研究が遅々として進まないのはどうしてでしょう。
社会現象といわれるものも、このブラックボックスがいたるところにあって、解明できないでいます。元をただせば人間の作った箱が、永い年月と人を経るうちに得体の知れないブラックボックスに膨れ上がって、今や人知の及ばない怪物に成長して人間を悩ましています。
今の日本の政治、経済、社会の現象を見ても、人間のコントロールの及ばないブラックボックスが沢山あって、いろんな施策を打っても期待する方向に向きません。ただ分かっているのは、人文系の構成要素が未だ解明できない遺伝子でも素粒子でもない、人間だということです。

政治、経済、社会のブラックボックスは所詮人間が作ったものであるなら、ブラックボックスの仕掛けを解き明かすのもそう難しいことではないのではという希望が持てます。
いや、気まぐれな人間が作ったんだからこそ難しいとも言えますが、ここは一つ日本の危機存亡にかかわることでもありますので、同じ方向を向いて一つ一つブラックボックスを解き明かして行く努力をしようではありませんか。

犬のロボットが人気を博しています。これとても入力に対してとる反応(出力)は、犬の形をしたロボットという箱に組み込まれたプログラムの範囲であって、ある意味ではなんの意外性もありません。
ラムをロボットと一緒に考えることじたいラムに叱られそうですが、共に暮らしていて思うことはラムは意外性の固まりです。
そして人間を考えるとき勇気づけられるのは、あのラムですらと思うことです。