犬のしつけの基本は、コマンドに対して絶対服従にあるといえます。コマンドの目的を考えてみると、そのコマンドに従わなければ身の危険にさらされる、社会に迷惑を掛けるという種類のものが多くあり、一般家庭にいる犬に対するコマンドは、この類のコマンドが大半です。
だからコマンドに対して犬は絶対服従でなければ、人間社会で暮らしていくためには困ったことになります。

犬自らが身の危険や反社会的な行為が判断でき、決してそのような行動をすることが無いと確信が持てれば、そのようなコマンドを出す必要はないのですが。
我が犬といえどもそこまでは確信がもてず、何歳になってもコマンドを出し続けるのが普通ではないでしょうか。犬の知能は、所詮その程度と判断しているからです。

犬にとってみても、出されたコマンドがどういう目的で出されたかは判断できなくても、ある程度の教育がなされれば、出されたコマンドで何をしなければならないかは理解できるようになります。出されたコマンドに条件反射できればしつけは満点です。
しつけの教育方法も、コマンドが実行できれば食べ物がもらえるという、条件反射を利用することからはじめることが多いでしょう。犬は食べ物をもらうために、出されたコマンドの意味が分からなくても実行するという訳です。
更に進んで、食べ物でなく誉めてもらえることを期待して、コマンドを実行するようになれば大進歩です。

コマンドができたら大袈裟に誉めろとよく言われます。しつけもいまだしのラムは、食べ物の報酬が無いとコマンドに対する反応は緩慢です。できるとしっかり誉めてやるのですが、誉め方が旨くないのかあまり感動してくれません。
かといって分かってないかというと、嫌々ながらでもスローモーにコマンドを実行しますので手を焼きます。なぜそのコマンドが出されたかは、全然分かっているようには思えません。
このコマンドを実行することが楽しいとラム自身が思うようになる日を夢見て、いつまでもしつけを続けていくしかありません。

犬のしつけはこのようなものでもいいでしょうが、人間のしつけはそうはいきません。今このことをしなければどういうことになるか、しつけられる一つ一つの意味を理解し、身に付けていくことが大切なのは言うまでもありません。
そしてある年齢になると、自分で事の善し悪しが判断できるように教えてやらなければなりません。

今下の息子のお子さんは2歳半になりますが、両親から「ダメ」といわれたり「良くできたね」と誉められたりの洪水の中にいます。「ダメ」と言われたことをしたらどうなるか、一つ一つ体験しながらことの善し悪しを学んでいっているようです。
息子達には、犬のしつけと同じように誉めて育てろよと言って聞かせますが、自分の子育ての時は叱ってばかりいた事を思うと反省しきりです。たまに来るお子さんを見てても、いい事をして誉めてやると得意げになるのは微笑ましいものです。しつけ教育の原点は、やはり家庭ではないかと思います。

今のままでは、やがて日本という国が自滅、自壊してしまうのではないかといわれるなか、国の力、民力はいろいろな尺度で計ることができるでしょう。
国民が生きる事に楽しみを見出し、明日に希望を持つ国の基本は、勧善懲悪をはっきりさせることではないかと思います。
こんなに悪人がのうのうと生きられる国の未来に、誰が希望を見出すでしょうか。ラムのしつけをしながら、ふとそんなことを考えてしまいます。