ここ2回ばかり、同じようなテーマで取り上げられたテレビの取材番組に、真相を追究する事の難しさをつくづく感じました。
一つはNHKの「クローズアップ現代」で取り上げられた7年前の事件です。警察の調査で当時同棲中の女性が、別れ話から灯油を撒いて自殺したというものです。同棲の男性の供述が採用され、女性が放火の上自殺したという事で、当初男性は不起訴処分となりました。
不審に思う両親の執念と、この事件が民事裁判では有罪判決となったことが警察を動かし、一転この男性を殺人と放火の疑いで起訴する事になったというものです。

もう一つの事件は、民放の鳥越さんがニュースキャスターを勤める「スクープ21」という番組で、徳島県の男性が女性との縺れが原因で橋から身を投げて自殺したという事件です。司法解剖もそこそこに、警察は女性問題を苦にこの男性は自殺したと断定、捜査を打ち切ってしまったというものです。
自殺に疑問を持った妹さんは、独自の調査を元に自殺の可能性を否定、再三の再調査要求に警察は再び捜査するも当初の自殺との断定は覆せず、妹さんは万策尽きて民放の取材に協力する形で、お兄さんの自殺を否定し真相を究明しようとする番組でした。
いずれの番組も、警察の初動捜査と予見をもって行われる捜査の拙劣さを指摘していました。天下のNHKがこの種の警察の不手際を取り上げたのは、警察がその非を認めた事件だったからだろうなと一人納得してます。
「スクープ21」の方は、鳥越キャスターの事件記者としての執念で、警察が放棄した真相の究明をしてやろうとする心意気を感じます。

事件の真相は知る由もありませんので云々するつもりはありませんが、事件や事故の真相を究明することに被害者(この場合は亡くなっていますが)や被害者の家族になんと多くの労苦を強いるのだろうと、強い憤りと疑問を感じます。
医療事故、交通事故、事件で被害者が肉体的、精神的に苦しみ、その上真実を究明、証明できない事で当然償われるべき補償や慰謝料がもらえず、悲痛な叫びを上げておられる方を新聞、テレビやホームページで最近よく見かけます。
被害者がなくなった場合は死人に口無しで、被害者の責任で事故が起きたように処理されるケースも見聞きします。なぜこんなことになるのでしょう。真実を判断する当事者の不誠実、忙しさに隠れた怠慢と思わざるを得ません。

番組で取り上げた事件でも、明らかに結果と矛盾する事実が出た場合、これを突っ込んで究明するかどうかは警察の裁量にかかっていることを思うと、警察はその責任の重さを充分理解してもらいたいとつくづく思います。
社会の信義を判断する構造がしっかりしてないと、われわれ市民は何を信頼して生活していけばいいのか分からなくなってしまいます。
この種の判断は、人間の性悪説に立って行うのが一般的なんでしょうが、そうであればもっと迅速に簡便に真相を究明、審議する制度があってもおかしくないと思います。
世の中の仕組みはそう簡単でないというのは詭弁であって、誰でもが納得できる分かり易い社会にすべきではないかと思いますし、私達も声を大にして要求しなければならないと強く思います。