日本アマの星が落ちた。日本アマチュアゴルフ前代未踏の6勝を飾った中部銀次郎さんが59才の若さで亡くなった。食道ガンだったそうです。
 勿論中部銀次郎さんについては、著わした本や報道でしかその人となりは知りませんが、ゴルフをたしなむ者として、見聞きしたことに教えられることが多く感銘を受けた一人です。
中部さんの人柄を語る時必ず言われることは、ゴルフに対する求道者的な態度です。それ故に、キャリア、実力からいっても充分プロで活躍できたのですが、終生アマチュアを通したようです。プロになればゴルフが生活の手段となり、ゴルフプレーの内容よりも、結果としてのスコアが良くなければ収入がありません。中部さんはそれが我慢ならなかったようです。貫き通した精神は「アマチュアだからこそ、純粋にゴルフの技術や心を追求することができる」ということで、常にこのことが根底にあったようです。
 
その精神を表した言葉が、中部さんの本のサブタイトルにもなった「あるがままに」でした。ゴルフをするものなら、必ず「打ちやすい状態からショットしたい」という誘惑にかられます。これがローカルルールとして許される権利であれば、この権利を行使してもとがめられることではありません。
しかし、中部さんはこのことを終生嫌いました。「ボールはあるがままに打つ」が中部さんの教えです。
ディボット跡(人が打った後にできる芝のくぼみ)に入ったボールを横に動かすことは勿論のこと、水溜まりに入ったボールさえ、ピックアップすることさえしなかったといいます。カジュアルウォータとして、動かすことが許されているにもかかわらずです。「人間は一度そういうゴルフをしてしまうと、いつも逃げ道を作ってしまう」というのが理由だったようです。
 
ゴルフプレーの技術習得についても多くの教えを残しています。ゴルフスウィングに関する技術解説書は世の中に沢山出回っていますが、解説する人の数だけ、ゴルフスイングがあるといいます。所詮スウィングはフィーリングの問題で、他人のフィーリングをいくら教えてもらっても、自分にベストマッチのスウィングである保証はないというのです。
その中で唯一解説できることは、静止状態にあるアドレス、すなわちスウィングのセットアップだけは教えることができるといいます。その人に合った正しいスウィングプレーンが決まれば、ボールが理想の位置でヒットできるセットアップを見つけ出す。動いている状態はコントロールできないが、静止している状態はコントロールできる。逆に言うと、ゴルファーがスウィングでコントロールできるは、セットアップだけだと教えています。
 
ハンドルを持つと人が変わるとはよくいいます。ゴルフクラブを持つと人が変わるとはあまり言いませんが、私なんぞは人が変わる部類の人間でしょう。
ここで1打、2打悪くなってもどうということはないのですが、いざその場面に遭遇すると安易に流れてしまいます。そしてそれが癖になって、6インチリプレースを声だかにとなえ、ゴムひもの6インチ定規で目一杯ボールを動かす。滑稽と言えば滑稽です。誤魔化しをするのは論外ですが、許される救済措置を目一杯使おうと、揺れ動く自分の気持ちをコントロールすることは、もはやできない状況によくおちいります。
いや、所詮アマチュアの遊びではないか、そんなに目くじらをたてるほどの問題ではないではないかという声も聞こえます。そうかもしれません。
しかし、選択の余地が無くなったせっぱ詰まった時に、日頃のこの潔さの訓練の差が、はっきり出る社会面の記事を多く見掛けるのも事実です。