新聞のコラムに「飼主と飼犬の関係」という記事がありました。ちょっと面白い内容でしたのでご紹介します。

(略)今から十年ほど前、ある出版社のPR誌に飼主・飼犬関係について戯文を書いたことがある。(略)アメリカでは、飼主と飼犬の主従関係ははっきりとしており、犬は主人に服従すべく、厳しく訓練される。日本では、犬はいわば家族の一員として遇される。犬が先導して飼主が後から引きずられていくという逆転した関係もまま見られる。(略)
この比較考のミソは、こうした飼主・飼犬関係が、日米それぞれの組織における上司・部下の関係といささか似たかたちをしている、ということにあった(もっとも、人間には、飼犬にはない組織選択の自由があるが)。
だが、以来シリコンバレーでの飼主・飼犬関係にも変化が生じてきたようだ。飼犬をしっかり従えるより、いわばパートナーとして、鎖もつけずに気ままに散歩させる人間が増えた。犬同士のけんかや子供のけがもあり、ついにスタンフォードは、散歩道として人気のあるカウヒル(放牧の丘)を、犬の出入り禁止とした。警察も鎖をつけない犬の取り締まりにのりだした。(略)
この飼犬の「自由化」が、指令・実行のヒエラルキー(管理者注)的関係を薄めたシリコンバレーの雇用関係と軌を一にして現れたのは偶然だろうか。(8/17日経夕刊 「あすへの話題」 青木スタンフォード大学教授)
(管理者注)hierarchy:階級組織

日米における飼主・飼犬関係が組織における上司・部下の関係と似てるという比較は、犬に対する日本人と米国人の考え方の違いが出ていて、大変面白いと思いました。
古い日本人の犬に対する代表的な考え方は、やはり「忠犬 ハチ公」ではないかと思います。犬は従順なもの、忠誠を尽くすものという考え方であれば、犬に対する接し方も自ずと決まってきます。
部下が同じような考え方を持ち、教育水準も高く、従順で忠誠を尽くす者であれば、上司は安心して仕事を任せることでしょう。管理は「頼んだぞ」の方が成果も上がって、いちいち指示をしなくても上下の関係は保たれて、仕事は遂行できたでしょう。
しかし、多民族で教育水準もばらばら、無頼で何をしでかすか分からない部下であれば、管理を徹底し、一から十まで指示をしなければならないのは仕方ないことのように思われます。

シリコンバレー的飼主と飼犬の関係はどう考えたらいいのでしょうか。
職場に犬を連れて行くと、癒し効果によって仕事の能率が上がるというようなことが、以前紹介されていました。成果や結果のみを重視する組織であれば、飼犬の「自由化」ならぬ、組織の「自由化」が来るのは自然なことかも知れません。しかしこれは、先に揶揄された、以前の日本の上司と部下に「管理がない」と言われる「自由化された」関係とは、明らかに異質なものだと思います。
そして今や日本でもやむにやまれず、成果主義を標榜して、いろんな処遇制度がガラガラと変わろうとしています。情報伝達のフラット化は一部では進行していますが、言うところの組織のヒエラルキー的関係は依然残っています。

シリコンバレー的飼主と飼犬の関係も、一面では破綻を来しているようですが、上下関係の有り様では今まで素晴らしい制度を持っていた日本が、人間組織での上司・部下関係は、ぜひ米国を一歩リードしたいものです。
我が家における飼主と飼犬の関係は、飼主の各々は良好と思っておりますが、複数の飼主に付き合っているラムが果たしてどう思っているか、ささみジャーキーを与えながらじっくり聞いてみたいと思っております。