大相撲秋場所9日目を終わって、あまりにもひどい今の大相撲を憂い、そしてこれからの大相撲に期待して、またぞろ大相撲に付いての思いを書くことにします。
それにしても今年の秋場所は、一体どうなっているのでしょう。一人横綱の武蔵丸は9日目にして早4敗、4人の大関は2人が休場、今一人は明日から休場の見込み、上位陣は総崩れと言う惨憺たる場所になりました。なんで日本の伝統格闘技、大相撲がこんな状態になったのでしょうか。なんでこんなに面白くなくなったのでしょうか。

その理由は色々考えられますが、私は大きく二つの理由からと考えています。一つは、強くなくてはならない力士が弱いからです。
相撲番付けほど、スポーツの中で奇妙な仕組みはありません。一番強いから横綱、その次に強いから大関、スポーツの中でこんな番付け制度を採っているスポーツは、大相撲しかないのではないでしょうか。
勿論、ランキング制度はありますが、それはあくまでも現在までの戦跡による順位付けであって、強さを保証するものではありません。
いまでこそ横綱になる資格は、二場所続けての優勝および優勝に順ずる成績を上げてた者という規定ができていますが、更に横綱審議会による成績以外の観点から審議され、最終的に決定する事になっています。横綱は絶対的に強くなくてはならないのです。
下位のものが上位の強いと言われる力士を負かすから面白い、と言うこともありますが、これは上位のものが本当に強いから面白いのであって、今のように上位の力士がコロコロ負けるようでは、面白くも何ともありません。
下位の力士が挑んでも挑んでも歯が立たない、更に精進して千載一隅のチャンスで横綱、大関を負かす、そんな場面にこそ大相撲の醍醐味があるんではないでしょうか。強い地位にあるものは、強くなくては土俵も締まらないし、それ以上に見ているものがつまらなく思います。

もう一つ、現在の大相撲をつまらなくしたのは、引退した若乃花、休場している貴乃花兄弟の責任ではないでしょうか。この二人の力士のために、相撲が薄っぺらなアイドルのスポーツに成り下がってしまったからです。
この二人が、切磋琢磨し双葉山や往年の横綱を研究し、力をつけていくと共に番付を昇進して行く姿には、若者のすがすがしさと努力してこそ報われる条理を感じ、大いに応援したものです。
ところが、その話題が土俵以外の下世話な世界で浮名を流すようになってからと言うもの、大相撲の確たる地位を占めていただけに、大相撲の地位と権威を大いに損なうと共に、大相撲の神聖さを汚してしまったように思います。
大相撲の神聖さなんて言うと、何と時代錯誤なことをと言われるかもしれませんが、私は大相撲にスポーツ以外の、日本人が大切にしている礼だとか精進だとか尊敬だとかの精神的な鍛錬をする世界を求めたいと思っています。
ひところ若貴兄弟が、相撲に対する心構えとして「相撲道を極めたい」と言ったことが、今に実践されていれば、また違った近代的な大相撲が実現していたのではないかと思えてなりません。

今、必死に頑張っている力士達が、このつまらなくなった今の大相撲を立て直して、日本の伝統的な格闘技に戻してくれることを大いに期待しているのは、私ばかりではないと思いますが。