人付き合いが良い、人当たりが良いなどといいますが、これも私にとって見ればすごい才能ではないかと思います。永い人生気取って見ても仕方ない、いずれ地が出るんだから、だったら初めから地で行けば良いと思いますが、人付き合い、人当たりが良いのが根っからの地だったりする人を見ると、やはりこれは持って生まれた才能と思わざるを得ません。
人付き合いが良い人、人当たりが良い人は、大体自分からの発言はひかえめで、全般的には聞き上手と言われる人が多いように思います。しかし一方で発言がひかえめで無口な人は、ぶっきらぼうで、何を考えているか分からず、無愛想とこれまた相場が決まっていて、全く逆の人間像になってしまいます。
人と付き合うと言うことの中に、会話は欠かせない手段でしょう。何気なく話す会話の中に、その人の人となりが出ているとしたら、これまたうかつな話しもできないと思います。話すことが苦手と言う方は往々にして、自分の話しの影響を気にするフィードバック系が機能しすぎるようで、一度この系を思いきって切ってしまうのが良いかもしれません。

何かの会合の後のパーティーや懇親会で、座持ちの良い人とそうでない人といます。パーティーで一人ぽつんと水割りかなんかを飲んでいるほど、つまらないものはありません。そんな時は積極的に、座持ちのいい人の輪に入って話を聞くに越したことはありません。パーティーでは初めの内に食べ物を食べ、会話の輪に入るのがコツのようです。
何かのテーマについて議論するような会話は別にして、座持ちの良い人の話題は、差し障りのない自分の経験談が多いようです。聞いている方は薬にはなりませんが、毒にもなりません。
時には聞いている人も発言をしないと会話は弾みませんが、決して議論を仕掛けるようなことはしない方が良いようです。

脳の活性化のためあるいは知識の習得のためには、外部からの情報入手が欠かせません。その方法として本や新聞を読んだり、テレビを見たりします。あるいは講演を聴きに行くこともあります。
情報入手の手段としてはオーソドックスで一人でできることですが、入手した情報を頭の中で反すうしないと、右から左に抜けて行くことが往々にしてあります。年を取ってくると一層そのことを感じます。
ちょっと込み入ったドラマや映画をみても、話しの筋がよくわからないことがあります。2回、3回見るとああそういうことかと腑に落ちます。年は取りたくないものです。

会話はその点、リアルタイムでことは進みますが分からなければ繰り返しができます。適度な緊張もあって、この時ばかりは脳がフル回転していることを実感します。残念なことは一人ではできないことです。
知ったもの同士が集まった所でも、本や新聞を読んで自分の世界に閉じこもっている人を見かけますが、もったいないことです。
会話も聞いているよりも、話している方が脳の働きは数段活発なようです。話すことが苦手、別段話すことなどないと思われている方は、一度奥様に聞いて見ると良いでしょう。きっと会話のネタは、山ほどあることを教えてくれることでしょう。