嫌な夢を見て恐ろしくなって目が覚め、しばらくして夢で良かったとほっとしました。見知らぬ顔つきのきつい人が、突然部屋に入ってきてこちらを見てるのです。恐怖におびえ、何か言おうとした所で目が覚めたので、その後の展開は分かりません。
この所訳もなく侵入した強盗に、家財ばかりでなく子供まで巻き添えにされ、一家全員命まで奪っわれてしまうような凶悪な事件が報道されてます。犯人にとってその家族にどんな係りがあるにしろ、なんともやりきれない事件です。
突然わが身に、こんな災難が降りかかってきたとしたら、どう対処したら良いのでしょうか。
米国での同時多発テロに対する報復戦争の端緒が切られ、自分のあまりにもこの報復戦争を他人事と思う事と、日本の立場を知らなさ過ぎる事に、今更のように驚いています。と同時に、身の回りで起きる凶悪な犯罪と、この戦争によって身に降りかかる災難が、どこがどう違うんだろうと考えてしまいました。

日本の戦争が終わって56年が経ちます。平和ボケと言われる日本人は、本当に幸せだと思います。終戦の年の事は覚えていませんが、昔の八幡製鉄所に近いところに住んでいた事もあって、空襲の事は記憶に残っています。警戒警報のサイレン、燈火管制、防空壕での生活、飛行船での敵機攻撃、夜間の照空灯による敵機探査、焼夷弾よけの天井板はずしなど不思議な事に思い出します
終戦後平和憲法の発布によって、日本は軍備を持たず戦争の放棄を宣言しました。しかし、警察予備隊、警備隊、保安隊、そいて現在の自衛隊と名前は変わりましたが、専守防衛の軍隊を持つに至っています。
日米安保条約に基づき、日本は米国の庇護の基に平和を満喫していましたが、’91年の米国の湾岸戦争によって同盟国の役割をどう果たすのか、米国に対する後方支援の在り方が問題になりました。
そして今回の同時多発テロに対する米国の報復戦争に、またまた後方支援としてどういう役割を果たすか、それに加えて欧米の集団的自衛権にどう係っていくか、右往左往しているのが今の日本ではないでしょうか。日本が欧米から、「大人は今忙しいんだ、子供はあっちで遊んでな」と言われかねないと揶揄されるのも、むべなるかなと思います。

この報復戦争が日本の他人事であれば、欧米の後ろについて右往左往してれば良い事ですが、ある日突然、日本がアフガニスタンのタリバンに攻撃されたらどうなるんでしょう。私をはじめ多くの国民は、降って沸いたような災難に驚愕するでしょう。
しかしタリバンは、日本は米国の同盟国で敵国であり、戦争で敵国を叩くのは当然の事と言うでしょう。まして、米国に次ぐ世界第2の経済大国であれば、テロの第2段として日本を攻撃するのは至極当然のよう考えるでしょう。
正に悪夢です。しかし、現実に考えられない事ではないのです。この時、日本はどうするのでしょう。専守防衛でただただ守りを固めるだけで、攻撃は米国にひたすらお願いするのでしょうか。
あまりにもうかつでした。私は何をしたら良いのか知らないのです。このことも、だれからも教えてもらったことはありません。日本の、今残っている戦争責任と同じように。