世界の情勢を新聞やテレビで見聞きして、いつのまにかその国のイメージができ上がっているのに自分でも驚くことがあります。
私だけでなく日本人の多くの方が、北朝鮮は何を考えているのか、約束も平気で破るし油断なら無い国だと思っているでしょう。不審船や拉致疑惑などが、そんな気持ちを一層強くさせます。正しい情報発信がないからだと思います。
アメリカやヨーロッパ諸国から見た日本もまた、北朝鮮ほどではないにしても、やはり何を考えている国なのか分からない国と思われているのではないでしょうか。思われていることを気にする必要はありませんが、日本に住んでいる私達がそのように不審を持つようになると、自分の国に対して将来の不安が募ります。最近の我が国での出来事を見聞きするにつけ、その思いを強くします。なぜでしょうか。

いつのまにか身に付いた仕草に、我ながら悲しくなることがあります。このところ食事の支度を私がするようになりましたが、苺や肉類のパック商品を手にとって、熟れ具合や脂の付き具合を確認した後、決まってひっくり返して裏側を確認します。表に見える品物と下になって裏側から見える品物が、天と地ほどの品質の違いがあることを経験的に知っているからです。きれいに揃えて、パックに詰めている商品ほど注意が必要なのも悲しい限りです。
最近はこの手の詐欺的商品に対する批判と、コスト削減のためにランダムに詰めたものが見られるようにもなりましたが、見た目で消費者をだまして売ろうとする商品はまだまだ多くあります。

今の日本ほど、社会的に経済的にそして政治的に、国民を不審のるつぼに落とし入れていることの多発していることが、過去にあったでしょうか。
不審の固まりついでに言うと、今までもこの種の出来事は同じように多くあったけれども、情報の公開が今ほどでなかったため分からなかっただけかもしれません。
質の違いはあるでしょうがその根底は、先に揚げた気が付かなければ買い物客をだましてやろうとする心根と、何ら変わらないのではないかと思います。そんな心根が日本を動かす経済人に、官僚に、政治家に、そしてそれらを取り締まる国家警察にあるとすれば、日本が外国から不審の目で見られることは至極当然のように思えます。

いや、もしかしてそろそろ私達の考え方を変えなければならないのかも知れません。社会システムには必ず欠陥や過ちがあり、そして決して私達を保護してくれるのものではないと認識を新たにし、徹底した自己責任が求められていると思うべきなのかもしれません。
今までは私達は守られているという負い目で、社会システムのあまり奥深いところまで知ろうとしなかったのではないかと思います。
そんな社会システムを維持、管理していた企業や国家が、もはや今まで通り私達を守っていけないほど疲弊し、経済的に行き詰まって、自分で自分を守る守るのに汲々として、私達の面倒は見きれないと放り出してきたように思えます。ならば、私達は自己の責任で社会システムを使って行くしかないのではないでしょうか。

就職したら定年まで安泰と思うこと、銀行に預けていたら利息がついて戻ってくると思うこと、医者にまかせていたら間違いなく治ると思うこと、国の指示したこと、発表したことを守ったら間違いないと思うこと、政治家は国民のために働いていると思うこと、警察のしていることは正義で、いつも私達を守っていてくれると思うことなどなどがこのところ多く裏切られています。

私達が社会システムを間違いなく使いこなすためには、また自己責任を求めるのであれば、対象の情報を正しく知ることが不可欠です。その上での自己の判断が誤ったのであれば、自己責任は仕方ないことと思います。
どうも自己責任だけ求められて、肝心の情報公開が十分でない、格好だけの社会になっている気がしてなりません。
情報公開するから正しい事しかできない、この歯止めがしっかりできていないと、日本の社会がとんでもない方向に暴走するのではないかと心配です。
スーパーにあるパック詰めの商品が、「品質のいいものも悪いものも入っているけれどこの値段です、買ってくれますか」という状態になった時、、多少情報公開も進んだかなと判断できるかもしれません。その日の来るまで、手にした商品をひっくリ返し、だまされないように商品選びをすることにします。