サラリーマン生活を辞めて半年、家事に入って10ヶ月が経過し、私の一日の過ごし方も大きく変わりました。何が実感として変わったというと、世界が一つ減ったので視野が狭くなったことと、一日の時間の経過にメリハリがなくなったことでしょう。どうもそのせいか、刺激が少なくなって考えることをしなくなったようで、この喫茶室も随分とご無沙汰してしまいました。
少し横道にそれますが、こんな喫茶室ですがお客さんに飲み物を出すとなると、外から色んな刺激をもらってそれを何とも貧相な蔵で醸成して、少し発酵したかなってところでお出ししています。最近はその刺激が少なくなって、発酵させるネタがなかなかないのが現状です。

言い訳はそれぐらいにして、会社という束縛された世界にいる方が自分の時間があるというのも変な話ですが、どうも「行ってきます」から「ただいま」までが会社生活の時間としたら、その中には随分と自分の時間があったんでしょう。
ところが家庭が全ての生活の時間になってしまった今、全てが自由な時間で、全てが自分の時間のように思っていました。
しかし物理的にはそうでしょうが、精神的には逃げ場のない世界に毎日、毎時間身を置いているわけで、時間に対する考え方の切り替えをして時間の使い方の工夫をしないと、自分の時間のないつまらない生活になってしまいそうです。

もともと時間の使い方の下手な私は、今という時間を、その先に予定されていることに縛られて旨く使えないと言う癖かあります。いや、癖と言うよりも性格といった方がいいでしょう。約束の時間が気になってずいぶんと早めに出掛けてみたりする方はまあいいとして、会社の仕事が気になって家庭の時間がつぶされるなんてのは全く不幸なことです。
私と同期の連中も会社生活を卒業すると、これから奥さん孝行をせねばとか、他の連中からしっかり奥さん孝行をしろよと言われるところを見ると、みんな同じ思いをしているのかなと思ったりもします。
会社生活って一体なんだったんだろうか、それなりに充実した時間だったように思われますが、その充実感を家内と共有できればこれに越したことはありませんが、往々にして反比例しているようです。そんな会社生活を、卒業したいま振り返ってみるのも、これからの家庭中心の生活をする上で多少役に立つかなと思います。

「仕事を通して国家、社会に貢献する」。サラリーマンの心得として最初に教えられたのはこの言葉でした。社是として同じような意味のことを掲げている会社が多いと思います。まずこれで会社の仕事を通して、国民の義務を一つ果たしているのだという思いで安心したような気になります。
次に「会社の仕事を通して、家族と自分の生活の糧と安寧を得る」と続きます。先ずこの二つが会社勤めの大義名分でしょう。しかしこれだけでは、なかなか会社勤めも永続きしないように思います。これに「仕事を通して充実感を得る」という精神的な満足が必要です。これがなかなか厄介なことで、めぐり合うまでには運もあり本人の努力も必要でしょう。
話題のサラリーマンノーベル化学賞受賞者 田中耕一さんは、インタビューの中で「自分が開発した技術が使われていれば、その人は外から見えなくても役に立っていると感じるだろう。それが会社で働く者、特に技術者のやる気を起こすことにつながる」と言っています。
技術者だけでなく営業マンだって、自分の努力で受注に成功したり、受注した物件が日の目を見ると充実した気持ちになるし、やる気もでてくるでしょう。どんな仕事であれ仕事をするエネルギーは、これに似たやる気から出ているように思います。
残念なのは、この気持ちが必ずしも妻と共有できないことです。夫が味わっている仕事の充実感を共有できない妻に、ある時には後ろめたさを感じます。一方で男の立場から言えば、せめて妻も自分の時間をつくり、生活に充実感を感じる何かを持って欲しいと思うのであります。
精神医学の本の中に、精神的に成熟した健康な人格についてこう定義しています。「活動的で柔軟性があり、適度に環境を支配でき、人格の単一性と統合性を維持していて、外界と自己を正しく知覚でき、より効果的な目的のためには直接の欲求充足を延期することができ、愛し、働き、遊ぶ能力があり、精神的充足感を適度に享受でき、自分の人生と仕事とに価値を見出し、かつ他人の価値観を受容できる人。
ときには、より次元の高い目的のためには適応と協調とをすてて、建設的な外界を創造し、しかも終生発達を遂げる能力を持つ人である。」

そんな自分勝手な男勝手なことを言っていた立場が一転、「中上会社」の家事を切り盛りすることになって、はたと生活の充実感をどこに求めるか、考え込んでしまったのであります。
そんな時、上に掲げた健康な人格について一字一句読み返してみました。翻訳ですからなかなかすんなりとは理解できませんが、言わんとすることは理解できます。そして自分なりに辿り着いた所は、やはり自分の時間を持つことではないかということでした。
他人を当てにしない、他人に望まない自分だけの時間、その時間に自分の満足や充実感を感じる時間、それがやはり必要だと思い当ったのであります。
私の年代では家庭を持った夫婦が、同じ環境で(共に仕事をするというような)生活することはすくなく、夫は会社で妻は家事という場合が多いいでしょう。幸い今の私は、妻と同じ環境で生活することができるようになりました。何となく感じていた後ろめたさもなくなりました。
今度は家庭生活の中で、生活の満足と充実感をもてる工夫をしていきたい。そして、願わくばその満足と充実感が、妻と共用できるものであって欲しいものだと思いつつ、「中上会社」に勤めている毎日です。