’07.7.27

最近ちょっと自分でも現代史づいてるように思いますが、それだけ現代史(歴史そのものは言うに及びませんが)を知らなさ過ぎると恥ずかしくなります。
2年前の暮れに撮り貯めしていた、NHKスペシャルで放映された「映像の世紀」を改めてじっくり見ました。「映像の世紀」はその前にシリーズで放映されていますので、その再放送です。

あらためて世界の歴史はヨーロッパ、アメリカ、ロシア、アジアというくくりの中で、それぞれの国が覇権を求めて右往左往し、今日に至っているんだなと思い知らされます。
そんな中で開国して間もない日本が、列強国といわれる国々と伍してやってこれたのは、優秀な国民性にあるのだろうかと思ってしまいます。ひょっとしてこんな自惚れが国際連盟から脱退してわが道を突き進み、太平洋戦争を引き起こしてしまう過ちを犯してしまったのかもしれません。
それにしても敗戦国の日本が、ドイツやポーランド、ベトナムや今でも分裂している南北朝鮮のように、国を分断されること無くやってこれたのは、幸運の何ものでもないと思います。(アメリカのお陰だと言う人もいますが。)

歴史にはイフ(if)はないといいますが、もし日露戦争がなければ、日露戦争に勝つことがなければ、日本の歴史は大きく変わっていたのではと想像するのは、歴史を学ぶことの楽しみでもありましょう。
ロシアという白人大国に勝ったことで日本の国力を誤解し、その後のロシア防衛線確保のための中国進出と戦争への道を進んでいくことになります。
日本の資源と防衛線確保のための東南アジア進出が、イギリス、フランスの植民地政策に苦しむ国々を解放するということで、進出した国々から歓迎されたのも歴史の皮肉でしょう。

当然、こんな遠い国で日本のやっていることを、国民が直接知る訳もありません。善くも悪くも当時唯一の報道機関である、新聞の記事で知ることになります。
報道が国民を誤った方向に向けたことも、戦争に進むことになった大きな要因のようでした。これは今でも同じことでしょう。ただ、偏った限られた報道機関だけでないことが、当時とは違うのかもしれません。
しかし現在は、さらにインターネットという無責任極まりない情報も氾濫しているので、かえって今のほうが誤った情報をもつ機会が多いかもしれません。

「映像の世紀」は第10集の「JAPAN」で終わっています。見終わって、放映され映し出されている日本の情景と、今の日本は違うのだという錯覚に囚われてしまいました。不思議なことに、放映された日本は物語の国のような気がしました。
歴史は、延々と積み重ねてきた過去の上に今があることを教えるという意味で、何よりも人間社会で必要な勉強かも知れません。
テレビで見た(多少NHKの意図のもとに編集されているかもしれませんが)過去の日本の延長に今の日本があることを思い至ると、安閑として居れない気もします。

「映像の世紀」の圧巻は何と言っても核戦争の脅威です。自然の脅威ならぬ人間がもたらす脅威です。
核の抑止力が抑止力にならず、ボタンを早く押したものが勝ちのキューバ危機の状態にならないためにも、話し合いは必要でしょう。
丁度今4回目の北朝鮮の核問題を巡る6ヶ国協議が始まっています。核をもてあそぶだだっこな国を、飴を差し出しながらなだめる国々の話し合いは、真にもって不謹慎な言い方をすると、何とも滑稽です。しかしこれが現実の世界なのです。
歴史はまた人を、暗澹とした気持ちにもするもののようです。