’06.12.23

 ’06.8/31の早朝、庭の裏の原っぱに降りる階段代わりの踏み板は、夜露ですっかり濡れていた。私はいつものように、ラムとサリーを原っぱに下ろして、私もその後に続いて原っぱに降りようとした。
いつもこの踏み板を降りる時は、庭から張り出しているヒバの枝を掴んで後ろ向きになり慎重に降りている。しかし、この朝だけはどうしてか理由は思い出せないが、前向きに同じように枝を掴んで降りていたようだ。
夜露で滑りやすくなっていたのだろう、板に打ち付けてある30センチ間隔の滑り止めの間に置いた足は見事に滑り、枝を離した右手の肘を板に打ち付けて原っぱに着地した。
後で見ると打った右肘は擦り傷や打撲の跡は一切なかったが、その時は肩が痛かったことを覚えている。
腕をぐるぐる回したり、撫でたりしながらラムとサリーを遊ばせ、サリーにはこれまたいつものように右手でボールを投げて走らせた。その日は少し肩が痛いなという程度で、2、3日すれば治るだろうと思った。これが、右肩腱板断裂の顛末だ。

2、3日経っても右肩の痛みは治らず、逆に痛みが増してきた。これはどうもおかしいと思ったのだろう、近くの整形外科に行って診てもらった。
先生が私の右手を持って、回したり捻ったりしていたが、手を上まで上げることはもう痛くってできなかった。お定まりのレントゲンを撮ってもらったが、骨には異常がない。先生は腱板が損傷しているかもしれないが、レントゲンでは分からない。とりあえず痛み止めと筋弛緩剤、それにシップ薬とゼル状の塗り薬を処方してくれた。
その時先生からは、腱の損傷は場合によっては手術をしなければ治らない。また、右腕を固定して安静にしておくことが大事で、それなりのギブスを紹介された。私が家事をしていることを話し、できるだけ動かさないようにしてとりあえずこのまま薬を飲んで暫く様子をみることにした。
このときの私の気持ちは、たかが肘を打っただけのこと手術なんて大袈裟な、腱であろうと暫くすると治るだろうと軽く考えていた。
しかし少し気になってインターネットで肩の腱板損傷を調べてみると、腱板断裂の症例によく似ていることが分かった。治療には保存療法と手術の方法を紹介していたが、手術は余程の重傷のように思え、私は保存療法でいこうとこの時は思った。

痛み止めの薬で少しは楽になったが、右腕は一向に上がらない。左手で支えてやると結構動く。また、夜寝てから右肩がやけにうずくことが分かり、いろいろ試した結果、右肩に枕をひいて寝ると楽なことも発見した。
この方法は後でわかったことだが、腱板断裂を患ったときにはこうすることが理にかなっており、切れた腱を引っ張ることなく楽になることが分かった。
家事で蛇口を捻ることも、車を運転することもままならなかったが、一ヶ月もすると右手の可動域も増えてきた。しかし、ある程度を過ぎると腕は痛くって上がらないし、夜のうずくような肩の痛みは一向に改善しなかった。こんな時、先生からここでは設備がないので、別の病院でMRI撮影をして持ってくるように言われた。MRIの診断の結果は右肩腱板断裂だった。

保存療法で行くという私の気持ちを尊重してくれ、一ヶ月が経過したので保存療法のリハビリをすることになった。リハビリと言ってもこの病院では肩を温め、滑車で腕を上げ下げするというものだ。
一ヵ月半を経過したところで、もう一度レントゲンとMRIを撮ることになった。レントゲン撮影では腕を上げて撮ることすら痛くってままならず、MRI撮影では肩を下にして15分じっとしていることが耐えがたい状態だった。
レントゲンでは骨は異常なし、MRIでは腱板の状態は切れたままで返って広がっているようだった。
MRIを撮った病院からは、「腱板大断裂、リハビリの様子ではオペの摘要も必要か」とあった。私が勝手に封書を盗み読みした内容だ。これはひょっとして・・・、私はこの時はじめてこの外傷の重大さを認識し、インターネットでさらに調べた。
色々な事例が紹介されていて、保存療法か手術すべきか正直迷った。先生からはこれは手術しかなかろうと、専門のK先生宛ての紹介状を書いてくれた。それでも迷った。

紹介されたK先生は、インターネットで調べると肩関節の著名な先生であった。このK先生を紹介してもらったことは、後からいろいろ話を聞いてまことにラッキーだった。診察の結果は手術が必要だと宣言された。
丁度同窓会の幹事を引き受けていたこともあって、約半月の猶予をもらって再度診察を受ける予約をした。診察の前にこの病院でMRIを撮っての診察だ。予約の日は、11月7日だった。