’15.7.8
久しぶりに戯言を書いてみようと、HP「ラムの世界」専用のMS−XPのノートパソコンを引っ張り出して書いています。
稚拙なスタイルシートに書き直した「ラムの世界」ですが、目次やインデックスにはふんだんにテーブルを使っています。CSSの書き方を思い出すきっかけにと、まづこのラムの喫茶室のトップページで使っているテーブルタグを書き直すことに挑戦しました。
うろ覚えのCSSの知識とCSSのテンプレートを元に、テーブルを使って書いていたインデックスを書き直したのがご覧ののトップページです。一日がかりの遊びごとでした。

人間の知力は、昔に比べて向上しているのでしょうか。最近の新聞、テレビで取り上げられている問題の対処の仕方を見ると、昔の人と比べてどうなんだろうと思ってしまいます。
いまEUの中でどうなるのか世界の国々が見守っているギリシャ問題、先人達が良かれと思って作った経済システムが、ギリシャの経済破綻に直面してどういう解決策があるか悩んでいます。関係する国々の知力が試されているようです。
技術の進歩と蓄積で、人間の知識は格段に進歩しています。また情報の蓄積手段の進歩で、考えるに必要な情報量も格段に多くなりました。後はそれをどう利用して、解というか結論を出すか、人間の知力が試されているようにと思います。

「脳の不思議」でも書いていますが、人間の知識は0から始めて教育によって現在の色んなことを知識として蓄積し、そして死んでいくときには脳に蓄積された知識は灰になってしまいます。何ともったいないことでしょう。
落語を聴いていると、名人と言われた人たちの題目の多さとその語り口に及ぶ現在の落語家は居ないのではないかと思うほど、その話芸は素晴らしいと思います。
しかし亡くなってしまうと、脳の中に蓄えられた情報は灰になってしまう、何ともったいないことだと思ってしまいます。

いつものように話はとんでもない方に行きましたが、知識は格段に増えていますが人間の考える知力は知識量ほど昔と比べて増え、進歩し、優れたものになっているか疑問に思えるのです。
知力が試されるのはおうおうに社会問題、人間をとりまく社会システムの解決する力に発揮されるように思うので、そのことが一層気になります。

この喫茶室で熱いコーヒーを入れていた頃は、何につけ心に引っかかることを恥ずかしくもなく書いていました。そのコーヒーもすっかり冷めてしまいました。
そしてまた喫茶室を開店して出されたコーヒーは、苦いばかりで香りもコクもないものになっています。それはお客様にだすものではなく、自分で飲む分だと決めています。コーヒーを入れようとする気力だけはあるのが、自分でもうれしいです。