’15.7.26
教わるというのには人から教わることと、物から教わることのふたつがある。今は、人から教わることが多すぎる。学校教育などで人から教われば全体のレベルは上がるかもしれないが、それだけでは、いいものは伝わらない。
夕刊のインタビュー記事に刀匠河内国平の記事がでていた。そのつまみ食いだ。

大きな合戦がなくなった17世紀以降、刀はほとんど使われなくなった。そのため、使い勝手よりも工芸品としての美しさが追求されてきた。河内さんはそれで本当にいいのか自問してきた。
そしてわかってきたのは、使われなくても使える刀を作りたい。鎌倉時代の名刀「正宗」や「一文字」のように人の心を強くし、力を与える「活人剣」を。
現代の刀鍛冶はどこかで展覧会を目指しているから、見た目の優れた刀を作る。何を目的に作ればいいのか。本当は切れ味であるはずなのに。それを忘れるわけではないけれど、今の時代に刀を使うことはないから見た目を優先する。

本焼き包丁の鍛冶職人と話していた時、当たり前だけど包丁は絶対に切れなければだめだという。その話を聞いたとき、刀もそこに帰らなければいけないと思った。
包丁の焼入れの仕方を聞いて実験を重ねた結果、でき上がった刀は刃先は硬いが、地金は今までよりもはるかに柔らかかった。そしてそこには名刀にある地金に現れる美しい景色の「映り」が出ていた。

この刀で切ってみたいなんて思わせたら、それはもう鈍刀です。この刀を持っていたら何にでも対処できる気持ちにさせるものができたら、それは名刀でしょう。
正宗の刀を見たときに、切ってみたいとは思わない。それは人を活かす「活人剣」だ。人間の強さというのは精神的な部分が多い。本当に敵と対峙したときは技術もいるでしょうが、気持ちが弱かったら絶対に負ける。
強い気持ちにさせる刀があったら、武士はそれを持っていきたい。現在でもそういうものが人間には必要だと思う。

わたしの師匠は「金を残すは下、名を残すは中、人を残すは上」と教えてくれた。優れた人から学ぶことも大事だが、優れた物と対話して学ぶことも必要だ。ものを見て触って想像して、自分で発見するところに本当の教育があると思う。

ゴルフが上手くなるのは、持っているクラブは人に負けない名器だと思うことと覚えたり。あしたからは、このクラブを持っているから失敗は少ないと思うことにしよう。教わることが何とも小さい。