英国FTの社説に、今国会で審議されている安保法案について書いてある。そのつまみ食い。
日本の憲法は改正する手続きが困難で、米国による占領下制定以来一条たりとも変更されてない。
日本は現在、日本国憲法の解釈を変え集団的自衛権と呼ばれる権利の行使を認めるための法案を通そうとしている。これを日本の防衛体制の戦後最大の変更だという人々がいるが、それは大げさだ。
日本は既に憲法の解釈を限界にまで広げている。憲法9条は、日本は陸海空軍を保持してはならないと定めているが、実際は世界屈指の装備を持つ軍隊を保持している。それを自衛隊と呼ぶことで、その力を隠している。
- 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
- 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
集団的自衛権は紛争で米国の同盟国と共に戦闘に参加できるようにするものだ。米国は積極的に支持しているが、中国や韓国は日本の新たな軍国主義が始まった証だと反対している。
安倍首相は集団的自衛権の必要性について自国民にうまく説明できてない。世論調査では、日本人の大半が新たな安保体制に反対し、多くの国民が米国の軍事的冒険に日本が引きずり込まれることを危惧する。たとえそうだとしても、これは正当な変更だ。
軍事力の増した中国の台頭で日本の安全保障環境は変化している。不安定な北朝鮮が核弾頭を持っている事実もしかりだ。ただ、中国を封じ込めるために米国と手を組んでいるように見られてはならない。
安倍首相は日本が近代的で平和を志向する国であることを示す努力をもっと行うべきだ。
過去をきっぱりと葬り去るためにも、戦後70年談話の際にこれまでの謝罪の言葉を繰り返し、その内容を更に広げるべきだ。
安部首相がそれを全て行ったら、中国はそれに報いるべきだ。アジアは70年前のことをもう水に流してもいいころだ。
気持ちが通じないもどかしさ、個人でもあるのだから国家、国民の間でもあるだろう。そして東洋人気質、アジア人気質のウエットな感情、国を治める者の政治手段、できるものなら更に手に入れたい賠償、いつまでくりかえされる「お詫び」と「反省」
8月14日に発表されるという安倍首相の談話、日本の中で憲法違反を犯してまでも作ろうといわれている安全保障法案、そんな足元の定まらない中で出される談話を誰が聞く耳をもつだろう。まして外国においておや。
そんな騒がしい中でも、われわれの毎日が変わりなく過ぎていく不思議。何かが起きないと変わらないのだろうか。怖い気もする。