’15.8.4
今回の安保法案を影で首相を支えている磯崎首相補佐官が、地元の講演会で「安保法案がわが国を守るために必要な措置かどうかだ。法的安定性は関係ない」という発言が問題になっている。
私にとって法的安定性という言葉の意味を知ることもさることながら、わが国の平和憲法について遅まきながら考えるいい機会を与えてくれた。

磯崎補佐官が国会で問題の発言を撤回し釈明した内容は、「本来なら法的安定性とともに国際情勢の変化にも配慮すべきだと言うべきところを、誤って法的安定性は関係ないと申し上げた。まさに私の過ちだ」というもの。
政府は6月、集団的自衛権の行使容認については、「従来の政府の憲法解釈との論理的整合性や法的安定性は保たれている」とする見解を発表した。

今回の安保法制は、「憲法9条は必要な自衛の措置を禁じていない」、「自衛の措置は外国の武力攻撃から国民の権利を守るためのやむを得ない措置で、必要最小限の範囲に止まる」という1972年の政府見解を引き継いだうえで、「安全保障環境が根本的に変容」したため「限定的な集団的自衛権の行使は許される」という憲法の新しい解釈だ。
ここにわが国の平和憲法で自衛隊が存続することと、今回の集団的自衛権を含む安全保障法案の肝がある。

政府の提案する安保法制は、「安全保障環境が根本的に変わった」のだから「限定的な集団的自衛権の行使は憲法上許される」というもので、憲法上許されることが「法的安定性」ということらしい。
従来の個別的自衛権に集団的自衛権が許されるとする憲法第9条の解釈は、また日本の歴史を書き換えることになるのだろうか。
あの日本全国の労働者、学生を奮い立たせた、1960年の安保闘争のときの日本と米国の安保条約の変更とどうちがうのだろうか。日本を守るという他国に対する武力行使の変更は、安保条約の当時の変更と変わりないように思うのだが。