’16.1.10
平成28年日本大相撲初場所が今日から始まる。昨年の暮れから日本人力士の優勝待望論が賑やかだが、この初場所はそれだけモンゴル人力士の体調がいまいちだからだろうと思うのは、日本人相撲ファンのひがみか、いや俺のひがみか。
その優勝を期待する日本人力士は、これも待望論の大半が大関稀勢の里をあげている。

この力士、毎場所のように日本人力士の優勝候補として挙げられているが、毎場所のように期待を裏切って日本人ファンをがっかりさせる。
そんなこともあって、最近は場所前調子が良くても、「この力士はファンを裏切るので優勝候補には挙げられません」という解説がつく。それほど情けない力士だ。
これって、贔屓の引き倒しっていうやつだろうか。しかし、この初場所はちょっと扱いが違うように感じる。いつも優勝候補の一人に上げる解説者が、稀勢の里のことを取り上げないのだ。プレッシャーを掛けたくないという配慮がうかがえる。
一方では稀勢の里に直接のアドバイスを書いている解説もある。元大関魁皇の浅香山親方の記事だ。

稀勢の里は、00年初場所千秋楽の私のような崖っぷちの状況にはなく、毎場所ある程度の成績は残している。だから、当時の私のようにすべてを根本から見直す必要はないかもしれない。
ただ、何かが足りないから、あと一歩で賜杯に手が届かないのは確かだ。その足りないものは何なのかを自分で見つけ、それを克服するための行動を起こしてほしい。それは入門のころ鍛錬した「相撲の基礎」をもう一度思い起こして精進することだ。浅香山親方のアドバイスだ。

稀勢の里は肝心なときに下位力士に取りこぼしをする。あの横綱白鵬と互角以上に戦うことができるのにだ。それも肝心なときに負ける。精神的なもろさがあるように思うのだが、浅香山親方のアドバイスは精神的なことについては何一つ触れてない。
稀勢の里の負ける時の所作をみていると、何となくあわてたように動作がはやい。瞼をしば立たせるのはさすが相手に悟られると見えて、最近はやらなくなったが見るからに近眼ぽい。
結構な時間が経つが、その昔横綱白鵬と仕切りのときにらみ合いをして勝ったことがあった。あれくらいの度胸が全ての相手にあるといい。

俺も度胸のなさは人後に落ちない。ゴルフをやっていても自分でよく分かる。プレッシャーに弱いと言うやつだ。なかなか平常心でやれない、特に知らない人と一緒にラウンドすると情けないほど平常心を失う。
これも基本動作を忘れているせいだと思うと納得する。特別なことを必要としない、いつも通りのことをやれば今の実力がでる。実力以上の成績が出るはずもないのだから。
ということは、浅香山親方の言うように精神修養するのでもなく、いつも基本通りの所作ができればいいのか。
俺のゴルフはどうでもいいが、今年の初場所は稀勢の里が優勝して日本を明るくしてもらいたいものだ。