’16.1.9
朝日新聞のコラム「天声人語」は有名だが、各紙にもそれぞれコラムを持っていていいことを書いている。日経の「春秋」もその一つだが、今日のコラムはあまり話題がなかったと見える。あまりさえないがこんなことが書いてあった。

言葉の許しがたい変化として、近年では「加速化」というのがある。前後の脈絡からすると「加速」と同じ意味だとしか思えない。耳にしたり目にしたりするたびに「馬から落馬した」とか「落馬して落ちた」といった言い回しに触れたような、意心地の悪さを覚える。
わけても情けない気分を誘うのは、霞ヶ関や永田町でこの言葉が目立っていることだ。たとえば女性活躍加速化。あるいは復興加速化。安倍首相まで「地方創生を加速化していかなくてはならない」などと口にしている。
簡潔かつ素直に「加速して」と言えば済むところだろう。そういえば化という字は「化かす」とも使う。「加速化」には深い意味が込められている、のかもしれない。

まあこんなコラムだが、芸能人のインタビューなんかによく出てくる「わたし的」とはいささか趣旨が違うのか。
「わたし的」と言う言葉を聴くと、なんだか話し全体が幼稚に聞こえるから不思議だ。これも「わたし」と言えばすむものだろう。
「わたし」と言うと断定したようで、えらそうに聞こえると言う人もいるし、言ってる本人も自信がないから「的」をつけるのだという解説も聞く。いずれにせよ、聞いてて耳慣れない気がするのは古い人間からかもしれない。

コラムの続きとして、「加速化」をやまとことばで「速めて」とすれば多少は雅になるのではないか。昔から日本のお役所はやたらと漢字を連ねがちで、最近はカタカナ言葉を羅列する傾向も目につく。
そこには「知らしむべからず」の思惑もうかがえる気もする、とある。
日本の政治が「劇場化」して、政治が身近で分かりやすくなったとも言われている。「知らしむべからず」と言っても、いろいろなメディアが解説してくれる。この「劇場化」は、劇場に化けてしまったことを言っているので、正しい「化」の使い方だ。