’16.6.8
将来の希望の「夢」ではなく、毎晩眠れない夜の朝方にみる「夢」の戯言だ。
見た夢のことは語らないほうがいいとか、見た夢がほんとになるとかいろいろ言われるが、この年になると朝方眠りの浅いときによく夢を見る。
そんな見る夢は、現実にあった印象深いことがいろいろ脚色されて出てくる。それも昨日あったことではなく、忘れたころにあったことが形を変えた話としてでてくることがある。まあ、人それぞれだろうが。

印象深い現実が、いい方に脚色されて夢を見るのなら幸せだが、なぜかしら悪いほうに、苦しめられるように脚色されてみるから厄介だ。
そして夢から覚めてほっとする、覚醒定かでないときは暫くその苦しみが現実と夢の間を行き来して、覚醒なるほどに安堵してくる。なんとも、前世というか今までの現世がよほど罪深かったのだろう。夢にまでも苦しめられる。

よく見る夢が、受験を前にしての時期の夢だ。三角関数、対数あたりが全く分からないのでどうしようとか、ほんとに分からなくて苦しんだのに、夢にまで苦しむことはないと思うのだが。これも夢で目覚めてほっとする。
営業の会社生活だったが、そのころの時代の夢も良くない。成績が上がらなくて、上司からやられる夢なんぞは最悪だ。パワハラなんて言葉はなかったが、やられることは同じこと、夢でも見たくない奴が夢で出てくるからどうしようもなく苦しめられる。
たまにはロマンチックな夢でも見れないものかと思うが、夢は思ったとおりには見ないものだ。

オバマ米国大統領が広島を訪問して、核のない世界を訴えた。核兵器を削減しようと訴える。核廃絶を訴えるがなかなか実があがらない。ならば夢を見る。
「アメリカは率先して核弾頭をゼロにする。核兵器は一切持たないことにする。核保有国は、即刻核をゼロにしよう」と。
核兵器を持たないと、何が心配なんだろう。何の心配も夢には出てこない、最後はやなり夢か。