’16.6.25
2016年6月24日、「イギリスはEUを離脱した独立記念日となった」とメディアは大々的に報道した。イギリスの新聞FTは、「長い不確定な時代の入り口」「イギリスは暗闇に飛び降りた」との見出しを社説に掲げたと。
EUの現状を生活で体験したことのないものとしては、大きなリスクを犯してまでもEU離脱を選ぶのかよく分からない。その選択の方法として採用したのが国民投票だ。さすが、議会制民主主義の発祥の地、イギリスと感心していた。
国民投票は国民の選択を確認する最も進んだ民主主義の有効な手段と思うのだが、それがそうでもないらしい。以下は新聞のコラムの受け売りだ。

民主政の国家のほとんどは、国民が選挙を通じて主権を行使する代議制民主主義を採用する。
一般大衆には政治に目配りする時間がないという実務的な理由もあるが、代議制にはもっと大きな役割がある。民意の集約である。
どんな課題もさまざまな意見が飛び交う。血みどろの争いになることもよくある。百家争鳴にどう終止符を打つのか。それこそが政治の存在意義である。英国の思想家ジェレミー・ベンサムが唱えた「最大多数の最大幸福」はそのための筋道を示したものだ。
ものごとの賛否は人によって微妙に違う。絶対に譲らない人、見返りがあれば妥協する人、体制に流される人・・・。ばらばらの米粒を上手について、一つのモチに仕上げるのがよい政治だ。
じかに有権者にイエス・ノーを問う直接民主主義にもよい点がないわけではない。小田原評定になりがちな代議制と異なり、結論がすぐに出る。
だが賛否が拮抗する課題の場合、半数近くの人が納得しないことになる。無理やり結論を出したゆえに混乱が深まる場合もある。
こういうケースはやはり代議制のもとでじっくり議論を尽くすべきだ。国民投票は世論がおおむねまとまっているときの最終確認に向いた合意形成手段である。日本で国民投票が行われるのは憲法改正だけである。

国民投票でよく引き合いに出されるのがドイツナチスだ。世界史の中でナチスほど民意を問う手段に国民投票を多用した政権はなかった。
重大な問題はしばしば国民投票にかけられ、そのたびに政権の意向を支える結論がもたらされた。それがインチキな方法だったにしろ、圧倒的な支持を得た。かの独裁者は国民投票の特質を知り抜いていたのだろう。
キャメロン首相は、取り扱いの難しいそういう危険物を持ち出した非をつくづく悔いているのかもしれない。魔物のような「民意」を恨んでも遅いというものだ。

「グローバル」より「ナショナリズム」、中国、ロシア、大陸欧州の各地、そしていまやアメリカまでもが排他的なポピュラリズムが広がっている。歴史は繰り返す。世界はなんだか得体の知れない魔物にかき回され始めたのかもしれない。