’17.2.5
どうしてゴルフが上手くならない・・・という戯言だ。最近のネットに、こんなタイトルの広告がよくでている。気になってみるが、ながながと理屈が書いてある先に、メルマガへの誘導だ。

ゴルフを始めて有に40年が経っているが、一向に上手くならない。さっさと上手くなる人を見ると、これも才能がないからだろうと思う。
そう思うとき、才能のなさも練習すれば上手くなるだろうといちるの望みを持って励んでみるが、それも叶わないでいる。余程ゴルフは向いてないのだろう。
だったら止めたらいいと思うのだが、何日かするとこうすればいいのじゃないかという思いがして、また始めてみるのだがまた打ちのめされる。

ゴルフも博才が必要じゃないのかと思ったりもするが、これはゴルフの握りに負けたときに思う勘違いだと反省する。
確かに博才と共通する心持は、度胸というか気の強さ、ものに動じない心の持ちようが必要なように思う。その点では、気の弱さは人後に落ちない。気にすることがあると、平常心が素っ飛んでしまうほど気が弱い。気の弱さが身体的、肉体的調和を乱して筋肉の硬直に繋がるからやっかいだ。

練習はよくやっているほうだと思う。間違った、下手になる練習かもしれないがそれは極力気をつけて、いろんな情報でチェックしているつもりだ。しかし、未だ自分のスウィングの型が定まってない。
上手くコントロールさせれて打てているなと思った打ち方も、こうすればもっとよくなるのではと思って壊してしまう。そしてまたもとの打ち方に戻す。そんなことの繰り返しで、これが俺も打ち方だというもんが持ててない。

クラブもそうだ。もっとよく飛ぶクラブがあるんではないかと、行きつ戻りつする。結局これも、自分に一番あっている道具かどうか自信が持てない。
結局、精神的な弱さ、打ち方の悪さ、道具のアンマッチ、みんな悪いほうに考えて前向きな自信をもったプレーができてないから、いい結果が出るわけがない。
何度も開眼するが、その次はもう別のことをするということの繰り返しだ。

これだけ嘆いたからには、またこの次からは気をとり直して、ましなゴルフができると期待している。阿呆な限りだ。