’17.2.26
日経に掲載されたFINANCIAL TIMESの記事から

プロローグ
ベルリンの壁崩壊後、「民主主義の波」が起きた。政治的自由の伝統的な牙城である西欧と米国から、ポーランドや南アフリカ、インドネシアといった大きく異なる国々が相次ぎ民主化を遂げた。
ところが、このプロセスが今、逆回転し始めたかに見える。確立された西側民主主義国の外で生まれた独裁主義的な波が、米欧へと広がってきた。

ロシアやタイ、フィリピンといった民主主義国に転換して間もなかった国々で再び独裁主義的な動きが台頭し、それが西側の政治にまで浸透してきている。
ポーランドとハンガリーの現政権は、権威主義的な傾向が強い。最も劇的な展開は、自由なメディアを敵視し、独立した司法制度にもほとんど敬意を払わない米大統領の選出だ。

この独裁主義、権威主義の台頭は、これまで皆が納得してきた政治的な仕組みをむしばむ恐れがある。豊かで確立された西側民主主義国の政治は、中南米やアジアのそれとは根本的に異なるという見方は考え直す必要があるかもしれない。
中間層と若者は民主主義を常に最も熱烈に支持するという考えも、かなり怪しくなってきた。

エンディング
ロシア、フィリピン、南ア、果ては米国でまた民主主義への支持がむしばまれつつある共通の背景は何か。それは多くの有権者にとって、民主主義は目的を達成するための手段であり、それ自体が目的ではないということだ。

もし、民主主義が南アのように雇用を創出せず、フィリピンのように安全をもたらさず、米国のように生活水準の停滞を招くとしたら、むしろ独裁的な体制に魅力を感じる有権者が出てくることになる。
格差が拡大し、経済や政治を支えてきた仕組みが一握りの人にだけ有利に働くように「でっち上げられている」と感じられれば、独裁的な体制へ傾く可能性はさらに高まるだろう。

もちろん、政治的な自由はそれ自体価値があり、人間の尊厳にとって欠かせないものだと見なす人は常に存在する。とはいえ、刑務所に入る覚悟で体制批判をする人は今はほとんどいない。
冷戦末期を見届けた米国のレーガン大統領は「自由を認めることこそが社会をうまく機能させることになる」とよく豪語した。残念ながら、もし一般市民がそれを信じなくなったら、自由を守ろうという人もいなくなるかもしれない。