’18.9.11
もうだいぶ前になるが、セカンドライフというソーシャルゲームを楽しんでいた。このサイトにも、その時の感想めいたものを書き残している。
物を作るという点では、物理的な材料もいるわけではないので私の趣味にあっていたが、それなりのこと、それなりのものは作れるのだが、バーチャルの世界でその仕事をしている人の作品を見るにつけ、自分の作品の稚拙さを知らされ、この世界のものつくりの興味もなくなって止めてしまった。

世の中には運動にしろ芸術的なものつくりにしろ、こんなものをよくやれるしつくれるなと心底感心することがある。それなりの才能と、それなりの努力があってこそのことだろうがそれにしても驚く。
働いてお金を稼ぐことがプロフェッショナルなら、サラリーマンや商売人や政治家もみんなプロというのだろうが、そんな中でも抜きんでて人を感嘆させるようなものごとを残す人がいる。そんな人は、どうして生まれるのだろうかとつくづく考えてしまう。

運動や芸術の世界での目を見張る人はよくわかるが、サラリーマンや政治の世界では、あまり華やかではない。いや、そんなことはないとおもうのだが、しかし運動や芸術の世界が個人の力量だとすると、サラリーマンや政治の世界は、個人を取り巻く人の力もあるからだろう。
それにしても、どの世界でも人を感嘆させる能力はどうやって生まれてきたのだろう。一方で、そんな人たちがこの人間社会を引っ張って行き、一般の人を和ましてくれるから、この社会が円滑に流れるのだろうとも思う。

一方で全く逆の、前者が善の素晴らしい人だとすると、悪の素晴らしい人がいるのも現実だ。
それはさておいて、人並み外れて能力のある人を本当のプロフェショナルというのだろう。
馬や犬のような動物の世界では血統がうんぬんされるが、人間社会ではタブーだが、同じ動物ならやはり血統というものがあるのだろう。
ただ、馬鹿な犬はいない、飼う人間が間違って馬鹿な犬を作ると同じ事が、人間社会にもあるのかもしれない。持っている能力を開花させきれないだけかもしれない。開花させるには、親の関心と時間と資金が必要だ。
女性の全米プロテニスを優勝して、4億円余りの賞金を手にした大阪という選手の報道を見るにつけ、こんな戯言を言ってしまった次第だ。