’18.9.13
最近の報道でこのパワーハラスメントという言葉をよく見聞きする。最近の話題では、女子体操の塚原夫妻、重量挙げの三宅会長、いずれも過去のオリンピックで名をはせた選手だった。
企業のパワハラも賑やかだが、誠に信じがたいのがスルガ銀行の暴言と暴力だ。銀行の組織で上司が部下に対してノルマを果たさせるために、こんな行為をするだろうかと思うほど、ここで上げるのにも憚られる言葉や暴力が内部の第三者委員会による調査で報告されている。

ちょっと驚いたのは、体操のパワハラ報道で被害者がパワハラと感じた行為は「パワハラ」だと、コミュニケータらしき弁護士がのたまわっていたことだ。所属する協会は、選手ファーストで考えるべきだとも。これでは、叱咤激励の指導はおっかなくってできたものではないと思う。

私の経験からすると、私が被害者になってのパワハラは小学校、いや幼稚園の時からあったことになる。父兄に見せる踊りが上手くできないと、メガネをかけた幼稚園の女先生からひどく叱られたことを今でも思い出す。
小学生や中学生のころは映画を見たといっては廊下に立たされ、正直に言わないとびんたを食らわされたくらいは何時ものことだった。映画でしか見ることのない軍隊の教練の指導は、今でいうパワハラの最たるものだろう。

暴力は論外だが、きつい言葉で指導することとパワハラの違いはなんなんだろう。その言葉がどんなにきつくても、それが相手のことを思って悪いところを正してやろうという気持ちの上に出た言葉なら、受け止める側も分かると思う。
指導する立場の者が、自分のあるいは自分の立場のための言葉であれば、相手にとってはパワハラと思われることもあるだろう。いずれにしても、人の心に関わることなので、現代では一層の気配りが必要だ。
私のように、五月のコイの吹き流し、口先だけではらわたのない者は要注意ということか。