’19.3.10
近年の日立製作所を理解する記事が日経に載っていたので引用する。

日立製作所は日本を代表する企業の一つだが、日立にとって平成とはどんな時代立ったのか、数字で確認してみよう。平成30年間の同社の業績を単純合計すると、累計の売上高は263兆円に達する。日本の最近一年間の国内総生産(GDP)のほぼ半分に及ぶ、堂々たる規模だ。
ところが、巨体の割に中身(利益)は貧弱で、30年分を合計した営業利益は10兆1千億円、純利益は1兆7千億円にとどまる。最近数年の復調がなければ、純損益の赤字転落もあり得た。昭和時代に築いた事業モデルや成功体験が行き詰まり、時代遅れになったのはだれの目にも明らかだった。
そんな状況を同社が直視し、本格的に改革に乗り出したのはリーマン・ショックで巨額の赤字を計上して以降の過去10年のことだ。一度は引退しながら、09年に会長兼社長にカンバックし、再建の指揮を執った川村隆氏は「昔の日立には悪い事業をやめる発想がそもそもなかった」という。
日立は巨大な共同体であり、働く人たちは大切な仲間だ。そんな彼らを共同体の外に放り出すことは許されず、業績が悪化すれば、賞与カットなどの痛みを全員で分かち合うことで、乗り切ろうとした。
だが、この手法には限界がある。競争力を失った事業を抱えながら、多少のリストラやコスト低減をしても、「沈む巨艦」は浮揚しない。見込みのない事業を外部に売るなど外科手術を勇気をもって実行したのが川村改革の特徴だ。「なぜあの事業を切ったのか、OBや関係者から叱責され、つらい思いもしたが、それに耐えるのも経営者の役割だ」と川村はいう。

もう一つの平成の入り口と出口で大きく変わったのは、事業の内容だ。日立の鉄道事業は創業当初から続く伝統あるビジネスだが、過去30年で中身は様変わりした。かつての最大顧客はJR各社であり、ビジネスの主導権も彼らが握った。日立や他の車両メーカーはJR各社の決めた仕様通りの製品を低コスト、高品質、納期に正確に作るのが最大の仕事だった。

だが、鉄道会社がメーカーに指図する関係性は日本固有のものだ。海外では逆にメーカーが事業の主導権を握ることも多い。鉄道担当の光冨直哉執行役常務は「英国の鉄道事業では車両や信号の生産だけでなく、資金調達から車両の保守、運行支援サービスまで一括提供している。一口に鉄道事業といっても、海外と以前の日本では求められる役割、機能が全く違う」という。

JRや電力会社、NTTなどの注文に高い技術力で答える日立は「偉大なる下請」と呼ばれた。東原敏昭社長は「これからは顧客のパートナーとして、彼らの困りごとや課題解決の役に立ちたい」という。海外での買収をテコに、国内のインフラ会社に偏っていた顧客基盤を世界に広げる作業にも着手した。平成元年度には23%しかなかった海外売上比率が昨年度には50%まで上がったのは、グローバル化の取り組みがようやく実を結び始めた証である。

過去の自分を否定し、新たなる時代に適合する組織文化や事業モデルを模索する。日立の30年間の悪戦苦闘は、他の日本企業や日本経済全体の歩みの相似形である。

なるほどなるほど、昔の仕事のやり方が今どうなっているか知りたいものだ。「落穂拾い」なんてやっているのかな。