’19.3.17
日経のコラム「風見鶏」から
著作権法改正案をめぐる自民党の議論が注目を集めている。結局国会への提出は見送ることになった。が、そんな議論のさなかある大臣経験者が会議の中で発した言葉がちょっと話題になっている。
意見がいろいろあっても「政治論として判断を下すこともある」との発言だ。解説を読まないと分からない。

この「政治論」という考え方。今の民主主義社会において意外と重い意味を持つのではないだろうか。
民主主義の根幹は多数決にある。一方、多数決は民主主義を揺るがすリスクも秘めている。多数派がいつも正しいとは限らない。多数決に重きを置くが故の混乱は今、世界が目の当たりにしている。イギリスのEU離脱での国民投票で、国が二分しているのはその最たる例だ。
そこに政治の出番がある。時には大局を見ながら判断を下す。誰もが満足する法案が難しいなら、より隙がなく、より早い施工を目指したほうがいいーー。そうした「全体最適」も政治の一つの判断だ。
ただ「大局を見た政治」は簡単ではない。
「今は国民に理解されなくとも将来に必要なことをやっていくのが政治家だ」 「だが、理解される努力をしなければそれは独善となる。微妙なバランスが重要だ」 多数を頼まず大局を見て説得力ある政治・・・。

たとえ民主主義社会といえども多数決が誤った方向に国を向かわせるのであれば、こんな政治家が出て正しい方向に引っ張っていく。物語にしか出てこない政治家だろうか。