’19.5.6
日経「令和を歩む」に衆院議長大島理森氏の談話が出ていた。同感するところがあるのでパクって書く。

1選挙区で一人しか当選できない小選挙区制度の下ではどうしても相手を否定していく。自分たちの方が優位だと言う主張が出やすくなる。
米国もとことん相手を否定して激しく対決し、分断的な論争が多いように見受けられる。経済のグローバル化とデジタル化の中で「寛容疲れ」が世界の民主主義にみられてはいないか。

日本はまだそのような分断的な政治状況にはない。(そうだろうか、大島議長がだんわとして国会は中傷誹謗合戦でなく、もっと野党も建設的な議論をしろと言ったはず) 国民の意志を統合していく機能は果たしている部分はあるが、注意はしなくてはいけない。(それ程与野党の国会審議はまともじゃない気がする)括弧内は私の感想。

デジタル化時代の民主主義をこれからどう考えていくか。日本の民主主義国会が大いなる議論をしていけばいい。
欧州連合(EU)離脱問題を遠くから見ると、なぜもう少し話し合って合意形成をしないのだろうかという感じがする。デジタル化により、一時的なポピュリズムの動きが非常に出やすくなってきている。
だからこそ我々は主催者に個人としても政党としても説明責任が重要になる。(よく説明責任という言葉を聞くが、どういうことを言うんだろう)

令和の時代は平和であること、特に日本が問われるのは秩序ある寛容性を世界にどう示せるか。共助と想像力が試される時代だろう。

このところ新聞テレビは、やたら令和はどんな時代になるかの話が多い。どんな時代になるかと他人事のように言うが、時代を作るのはその時代に生きている人間だ。
そうはいうものの、時代を作ることに関係ない私にはやはりどんな時代になるんだろうと気になる。領土問題も解決し、拉致された人々も戻り、戦争に関係ない国であってほしいと思うがそうはいかないのかな。