’19.5.9
日経の「Deep Insight」に、元号が変わって平成を振り返るブームが起こっているが、昭和の時代に光を当てるべきではないかという意見がある。
それは新しい実証研究の成果が生まれ、昭和史の解釈が年々更新されているからだ。

井上寿一 学習院大学長
日本は1930年代、地方の農村が困窮しこの危機を克服するため、経済権益を求めて中国に進行したという学説が戦後流布されてきた。
だが、日中が全面戦争に入った37年ごろは日本の経済は絶好調であり、38年も好況に沸いていた。日本の貧しさが日中戦争の原因ではないというのが近年、ほぼ共有されている学説だ。

筒井清忠 帝京大教授
戦争に国民が抵抗しなかったのは、軍部に強制されたからだという見方が長年あった。確かにそういう面もあるが、米国や中国への敵愾心からメディアや国民が戦争を積極的に支持するとともに、戦時体制下で進められた健康保険制度の創設や小作農保護などの平等政策が、国民に歓迎されていためんがあったことも、近年でははっきりしてきた。

庄司潤一郎 防衛研究所研究主幹
日中戦争は陸軍の主導により全面戦争に入っていったという見方が長年主流だったが、対ソ戦への備えを優先したい陸軍中枢は当初、拡大に慎重だった。
むしろ、華中や華南に権益を持つ海軍が積極的に動いたことに近年、焦点が当てられつつある。「蒋介石日記」の公開に伴い、蒋介石も当初から上海で攻勢に出るつもりだったことが分かってきた。

金年来の昭和史ブームのなか、たくさんの本が刊行され読者をえている。これ自体は歓迎すべきだが、歴史研究者らによると、すでに否定された史実や解釈をそのまま紹介している例も少なくないのだという。
筒井氏が一例として挙げるのが、1931年の満州事変を主導する一方で、日中戦争の拡大に反対した陸軍幹部、石原莞爾の人物論だ。
「36年の2・26事件で、石原莞爾が早くから叛乱軍の鎮圧に動いたという『美談』が昭和史本によく登場する。しかし、本当は逆だった。この事実は史料研究で証明されているのに、いまだ訂正されてない」

愚者は自分の経験に学び、賢者は歴史に学ぶー。プロセイン出身の宰相ビスマルクが残した有名な言葉だ。これを実行するには、最新の史実や歴史の解釈を知っていることが前提になる。そうでなければ、誤った結論を歴史から導いてしまうだろう。

どうも最近のテレビや新聞を読むと、平成という時代は今までの良き前例がこわれて、だから令和は壊れた構造を修復していかねばならないという論調が多い。平成を評価するには、もう少し時間がかかるのではないか。令和への期待は大きい。それ程今が混とんとしている。