’19.8.8
国の借金について、いつものように日経のパクリ。十字路というコラムから。

赤字国債を発行して歳出を賄うと、国のバランスシートではその分だけ債務超過額が増える。借金で手に入れたお金を使ってしまって残らないからだ。
今やその額は、この日本においては570兆円にも上っているが、だからと言って日本の財政がすぐにも破綻するわけではない。
企業もそうだが国の財政も、資金繰り(国債の発行・消化)が可能である限り破綻したりはしない。
最近よく見聞きする「現代貨幣理論(MMT)」では「自国の通貨建ての債務はいくらでも可能だ」とすら言っているほどだ。
ただよく考えると、国の債務とはいえ将来は国民の債務だ。国の財政が債務超過であっても大丈夫なのは、最後は国民が納税という形でその債務を負担する、国家には国民にそれを強制する権利がある、と考えられているからだ。
しかし現実問題として、消費税率を2%引き上げて6兆円規模の増税を図るだけでも抵抗は大きい。しかも世論では「増税分の全てを債務の返還に充てることなどは論外だ」という意見が圧倒的多数を占めるだろう。
今後、高齢化が一層進む我が国では、債務超過額はさらに拡大する可能性が高い。抵抗が大きい増税や歳出削減でそれを食い止めようとしても、現実不可能だという他ない。
その現実を多くの人が自覚したとき「自国通貨建ての債務には限界はない」とか「財政の資金繰りには問題はない」と言い続けられるだろうか。
MMTは「歳出拡大の結果、自国通貨の発行が増大してもインフレにはならない」と主張する。ある意味では正しい。
しかし物価とは本来、人々が自国通貨を信用でなくなった時に歯止めなく上昇するものだ。通貨に対する人々の信頼の根源が国(の財政状況)に対する信頼であることは言うまでもない。

その昔麻生財務大臣が、「日本は絶対に破綻しない。なぜならば、国の借金より国民の財産の方が多いから」というようなことを言ったような記憶がある。
確かに日本国民の財産は、今や1,800兆円とも言われる。国が破たんすれば、国民のこの財産を使えばいいと言う理屈だ。だから日本は財政が強い国だ、という理屈になるのだろうか。
国が破たんしなくても、少子高齢化で年金だけではやっていけない国民が破たんしてしまえば、国家そのものが存在の意味をなさない。いや、一部の富裕層がいるから大丈夫なのかしらん。